「進化心理学・脳科学のレンズを通して政治・経済・一般常識を読み解く」



正当に怖がることは難しい


~新型コロナウイルス騒動から私たちは何を学べるのか~

藤原 尚道


◎新型コロナウイルスに震撼する世界


 2月後半から株式市場は新型コロナウイルスの感染拡大の影響をもろに受けている。東京市場もニューヨーク市場もリーマンショック以来ともいえる下げ幅を記録している。マスメディアはしきりに世界経済の失速懸念を喧伝しているが、実際のところ新型コロナウイルスは経済にどれほどの影響を及ぼすのだろうか。残念ながら、それは誰にもわからない。なぜなら、経済、そして株価は、人々の心理の影響を最も大きく受けて変動するものであり、データや事実の影響はほとんど受けないからである。

 今回の新型コロナウイルスを通常のインフルエンザと比較してみると、なぜこれほどまでに怖れ、大騒ぎしなければならないのかがわからなくなる。新型コロナウイルスの感染者は、世界中合わせても10万人にも満たず、死者も3000人程度だ。インフルエンザの感染者数は毎年数億人(日本だけでも約1千万人)。それによる死者は25~50万人(日本だけでも約1万人)にも上る。「新型コロナウイルス恐れるにたらず」と言いたいところではあるが、現実はそうはなっていない。毎年定期的に流行するインフルエンザと比べて、感染者数で1000分の1、死亡者数でインフルエンザの1万分の1の病気に世界中が恐れおののいているようにも感じられる。これは現在の状況であり、今後新型コロナウイルスによる死者が膨れ上がる可能性がゼロだとは断言できない。とはいうものの、どうにも今回の騒ぎ方には行き過ぎの感が否めない。新型コロナウイルスは世間の無知をあぶり出しているように思える。


◎楽観するのも危ないが、怖がり過ぎることも禁物

 寺田寅彦が『小爆発二件』という随筆に「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい」と書いている。これは東日本大震災の際にも、根も葉もないデマに踊らされるなどして必要以上に恐怖心をつのらせることは危険だと諭す名言として紹介された。原文を読んでみると本当は、小噴火を繰り返す浅間山への登山を決行しようとする登山者の無謀さを諫めるものであり、今回の新型コロナウイルス騒動で言えば、韓国の文在寅大統領に送りたい言葉だ。韓国政府は感染が急拡大する直前に自治を過度に楽観視、2月12日に「集団行事を延期したりキャンセルする必要性はない。防疫措置を十分に並行しながら集団行事を推進するように」と勧告したが、そこから3週間で韓国国内に6000人を超える感染者を出してしまった。これまで経験したことのない状況での油断や楽観は大敵である。

 しかし、はっきりとした根拠もなく世間が恐怖に支配されている状況も非常に危険だ。恐怖は自分の命や健康を守るために進化した、私たちにとって極めて重要な感情だ。しかし、恐れに対して鈍感過ぎると身を亡ぼすこともある。度を越えた楽観主義は大きなリスクを抱えている。一方で、怖れに対して敏感過ぎて身を亡ぼすことは一般的に少ないようだ。悲観主義で損をすることは多々あっても身を亡ぼすほどのリスクがあるとは考えられていない。ところが、現代社会に生きる私たちが何かを怖れるとき、「何か」つまりは恐怖の原因となっているものよりも、「恐れる」という行為そのものによってより大きな実害が生み出されることがある。一部の人が個人的に何かを怖れている状況にたいした害はないが、社会の空気が恐怖に支配されてしまうと、オイルショックのときのトイレットペーパー不足や、2008年のリーマンショックといったパニックを引き起こしてしまう。さらにはいわれのない差別が欧米で暮らすアジア人や、身をとして感染者の治療に関わった医療従事者を苦しめている。未知の恐怖は通常の恐怖よりも大きい。だから今までに経験したことのない怖れは往々にして差別意識を生みだすものだ。しかし、差別から得られるものはなく、差別によって失われるものはあまりにも大きい。


◎今私たちに必要なのは「正当に怖がる」こと

 今回の新型コロナウイルス騒動では、マスクや消毒用エタノールなどが店頭から消えるといった事態だけでなく、世界経済に急ブレーキがかかり、生活に困窮する人や倒産する企業がでてきている。そのうちに新型コロナウイルスに罹患して亡くなる人より、新型コロナウイルス騒動によって自殺する人の方が多くなるかもしれない。怖がらなさ過ぎることにも問題はあるが、怖がり過ぎることにも身を亡ぼす危険性があることを肝に銘じておかなければならない。個人としてだけでなく、社会全体としてリスクを最小限にとどめたいのなら、ほどよい怖がり方、つまり「正当に怖がる」ことが不可欠である。

 寺田寅彦も言うように「正当に怖がる」ことは難しい。「正当に」というのは「根拠に基づいて」ということだから、つまり寺田虎彦は、怖がるなら「科学的に怖がる」ことが重要だが、それは難しいことだと言っている。確かに、怖がるというのは極めて情緒的な反応だから、それを科学的に、つまりは理性的にリスクを評価するようにするというのは相矛盾する困難な作業である。しかし、リーダーが根拠のない楽観論で判断したり、情緒的な反応が群集的な不安心理を増幅してしまうととんでもないパニックが起こることになる。だから「正当に怖がる」ことは重要だ。しかし、私たちには残念ながら「正当に怖がる」能力が欠如している。私たちには何とかして「正当に怖がる」能力を高めていかなければならない。そのために重要なのは、情報を疑ってみること、そしてリスクの概要を正しく理解することだ。


◎まずは情報を疑ってみよう

 新型コロナウイルスについてネットには疑わしい情報があふれている。「アオサを食べていると新型コロナウイルスへの免疫が高まる」「27度のぬるま湯を飲むと新型コロナウイルスが死滅する」等々、怪しげな情報が飛び交っている。まさか、このような情報に踊らされる人は少ないとは思うが、人々がパニックになっているのを見ると、便乗商法だけでなく愉快犯まで登場するものだ。情報源はきちんと選ばなければならない。しかし、その内容がいい加減で、鵜呑みにすると危ないのはテレビも同じだ。

 そもそもマスメディアとは「恐怖を売り物にする商人」である。彼らによって発信される情報の内容は、「何が正しく、何が必要か」ではなく、「何が無知な大衆の感情をより強く刺激するか」によって選別される傾向が強い。本当に役に立つ情報を発信しても視聴率は上がらないが、恐ろしいと感じる情報に視聴者は釘付けになる。だからテレビでは連日積みあがる感染者の数を、毎日悲壮感をもって報じている。

 しかし、その数字は信用できるものだろうか。新型コロナウイルスによる死者の数はさておき、その感染者数はいい加減なものだ。感染者数が3000人を超えた韓国と200人程度(クルーズ船での感染者を除く)の日本を比較する報道をよく目にするが、世界最高水準の診断検査能力を備え、1日に1万件ほどの検査を実施している韓国の感染者数はある程度信頼できる。しかし、1日に1000件の検査もできていない日本の感染者数に信憑性はあるのだろうか。韓国並の検査を実施した場合、死者の数から推測して日本国内の感染者数は少なすぎる。検査が追い付かないだけで、まだ見つかっていない感染者は1000人以上いると考えた方がいい。「正当に怖がる」ためにまず必要なのは、ものごとを批判的に見て、確かな裏付けのある事実を探そうとする態度である。


◎リスクの概要を正しく理解しよう

 では仮に、日本でも韓国並の検査を実施し、3000人の感染者が新たに発見されたとしよう。その状況は一体何を意味しているのだろうか。ここで大切なのが数字を統計的に理解しようとする姿勢だ。人々はまず3000人という数字の大きさに情緒的に反応するだろうが、本当に大切なのは、それが10万人に3人程度の話でしかないということだ。発信源の中国でみても、感染者数が約8万人というととてつもなく大きな数字に見えるが、それは中国の人口と比較して考えれば2万人に1人という話でしかない。

 裏付けのある数字を判断材料にするだけでなく、その数字を分数に置き換えてリスクを正しくイメージできるようにすることは「正当に怖がる」ためにはかかせない。

 確かに未知の病気がどんどん拡大してしまっては困るから、感染拡大に向けて懸命に努力することは大切だ。しかし、現状のリスクを正しく理解せず、やみくもに大騒ぎすることは別の深刻な被害を生みだすことになる。社会全体に情緒的な反応が広がればパニックに陥って多くの人が深刻なダメージを受けることになるだけだ。寺田寅彦が述べた通り「正当に怖がる」ことは非常に難しいようにも思える。しかし、情報を疑う癖と、リスクの概要を正しく理解しようとする習慣を身につけようとする努力は、新型コロナウイルスへの対応力だけでなく、変化が激しく、次々と未知の状況への対応を求められる今の時代を生き抜く上で是非とも必要な「正当に怖がる」能力を高めてくれるはずだ。


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