「進化心理学・脳科学のレンズを通して政治・経済・一般常識を読み解く」



藤井聡太新棋聖に学ぶリスクマネジメント



~失敗を怖れず、勇気をもってリスクに挑む~

藤原 尚道


◎藤井聡太新棋聖の高校生らしからぬ強さ

 7月16日、将棋の棋聖戦五番勝負で藤井聡太七段が渡辺明三冠を破り、最年少記録となる17歳11ヶ月で棋聖のタイトルを獲得した。これは31年間破られることのなかった屋敷伸之九段の記録(18歳6ヶ月)を大幅に更新する快挙だ。藤井聡太新棋聖の高校生らしからぬ強さには驚かされる。世の中には,「自分の息子(部下)が藤井聡太君のようだったら」とため息を漏らした人も多いことだろう。

 藤井聡太七段が渡辺明三冠から棋聖のタイトルを奪取した7月9日の対局はインターネットテレビ局「Abema(アベマ)TV」で生配信され、その視聴数は400万を超えたそうだ。9×9=81マスの小さな盤上で「相手の王を獲り合う」、将棋の目的は実に単純だ。しかし、大企業の経営者をはじめとした多くの人がその内容に刺激を受け、様々な意味や教訓を見出す。将棋とは実に奥深いものである。

 将棋一局には計算上10の220乗もの指し手の組み合わせパターンがあると言う。世界最高のスーパーコンピュータ「富岳」を1年間休みなくフル回転して計算できるのが10の30乗回(1000兆の1000兆倍)ほどだから、人類に将棋の可能性すべてを見通す術はない。そのような、何が起こるか完璧に予測できるはずのない状況で、自分の頭脳だけを頼りに戦うのが将棋だが、藤井翔太新棋聖のデビュー以来の公式戦通算成績は185勝35敗、勝率は84%以上だ(7/31現在)。まだ220戦とはいえ、この強さは本物だ。


◎将棋の本質はリスクマネジメント

将棋ではゲームの流れの中に次のような3つのステージがある。

【序盤】 守りと攻撃の基礎を固め

【中盤】 駒を激しくぶつけ合いながら敵陣に攻め入る機会をうかがう

【終盤】 相手の囲いを崩して王に攻撃を仕掛ける

 序盤は定跡(昔からの研究で最善とされる指し手、囲碁では「定石」と書く)に従って進行することが多い。たいてい「矢倉」や「腰掛け銀」といった一定のパターンに沿ってゲームは進行する。将棋が面白くなってくるのは中盤以降、積極的に駒の取り合いが行われるようになってからだ。

 中盤以降は「前例がない」パターンでゲームが進行していく。過去に誰も経験したことのない、何が起こるか誰にも分からない状況での駆け引きが展開される。羽生善治永世七冠によると、中盤には一つの局面に平均80通りの候補手があると言う。しかし、対局中の棋士は、時間の制約があるから候補手を80通りの中から2つか3つに絞り込み、残りの可能性は捨てるそうだ。

 将棋は「論理的思考の格闘技」とも呼ばれる。しかし、AIを駆使してもすべての可能性を明らかにすることが不可能だ。このような戦いに勝つために求められるのは、まさしくリスクマネジメントの能力だ。リスクを過大評価すれば勝機を逃すし、過小評価すれば負ける。しかし、リスクの見積もりに絶対的な正解はない。棋士はあるリスクは避けつつも、別のリスクは受け入れ、決断して前に進んでいくしかない。


◎「リスク」の本来の意味は「勇気あるチャレンジ」

 「リスクマネジメントとは何か」と質問されたら、あなたは何と答えるだろう。「損失の回避や低減」と答えたなら50点だ。「リスク」は元々「船で岩礁の間を行く」ことを意味するラテン語(risicare)が、イタリアで「勇気を持って試みる」という意味で使われるようになったと言われている。他にも様々な説があり、スペイン語の「risco(船乗りを悩ませる切り立った岩礁)」や、アラビア語の「risq(今日の糧を得る・明日の糧)」なども候補とされている。それぞれの意味は微妙に違うが、重要な共通点がある。それは「状況が不確実でも、目的を持って困難に挑んでいる状況」だ。ところが、いまや多くの日本人にとって、「リスク」は挑むものではなく、避けるものになってしまった。

 様々なアンケートによると、日本では将来に希望をもてない人が年々増えている。私は、その元凶は日本人の「ゼロリスク信仰」だと考えている。今の日本にはリスクを「避けるべき危険」としてしか考えられない人が多すぎる。ゼロリスク信仰の熱烈な信者はリスクをオール・オア・ナッシングで考える。しかし、リスクがあるのか無いのかという話は意味がないばかりか危険だ。

 「専門家」の「リスクを否定できない」という言葉に過剰反応する人は、日頃からリスクの「能動的に未来を選択する」というもう一つの意味には目がいかず、意味のあるチャレンジさえ避けようとする。しかし、私たちは本能的に、未来の幸福はリスクを取って挑戦してこそ手に入るものだということを知っている。だから私たちは未来に希望をもてないのである。


◎トライ&エラーを繰り返すことでしか新時代は拓けない

 リスクは避けるだけではなく挑むものでもある。確かにすべてのリスクにチャレンジしていたら身がもたない。当てもなく新大陸を目指すイタリアの冒険家や、近道を焦って険しい岩礁を抜けようとしたスペインの航海士の多くは難破の憂き目を見た。また、一攫千金しか頭にないアラブの商人は明日の糧ばかりでなく今日の糧も手にできなかっただろう。リスクはただ闇雲に挑むものではなく、事前の見積もりが大事だ。しかし、私たちは目の前にある様々なリスクについて、避けるべきものか、それとも挑むべきものか、それを積極的に見極めようとしない。 結果の不確実性に怯えて思考停止していたら将棋には勝てない。「穴熊」にがっちりと守りを

 固めていても、攻め手が無ければ勝負にならない。プロ棋士の強さを支えているのは、攻め時か守り時かを見極める形勢判断力と、決断しリスクに挑む能力だ。私たちは棋戦を観戦しながら、見事にリスクを取捨選択する棋士の能力にため息を漏らしているばかりでなく、自らのリスクに対するセンスを磨いていかなければならない。


 藤井翔太新棋聖は10年前、小2のときに出場した全国大会の決勝で敗れ、悔しさのあまり大観衆が見守る表彰式で泣き出してしまったという。しかし、彼には敗北を「力に変える能力」があった。プロ棋士は対局が終わると必ず間髪を入れずに感想戦(対局を再現し、大事な局面での指し手を振り返って勝因や敗因を分析すること)を行うことが慣例になっている。最強の棋士と言われるような人々にも必ずミスがある。そして強くなる棋士ほど負けたことに正面から向き合う能力に優れている。

 リスクに挑んだときの勝率を高めていくためには、トライ&エラーを繰り返し、成功と失敗、その両方から学んでいくしかない。損失を避けることしか頭にないリスクマネジメントは誰をも不幸にする。いま私たちに必要なのは失敗を前向きに受け入れ、そこから学んでいく文化である。

   
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