「進化心理学・脳科学のレンズを通して政治・経済・一般常識を読み解く」



「好んで苦労することはない」と考える新入社員が増殖中


~「脱ゆとり」が若者のチャレンジ精神を低下させる原因か?~

藤原 尚道



◎「好んで苦労することはない」と考える今どきの若者たち

 「若い時の苦労は買ってでもせよ」とはよく言われたものだが、最近の若者の半数以上は「苦労はお金を払ってでも避けたい」と考えているのかも知れない。日本生産性本部が2019年4月に新社会人になった人たちを対象に行った調査によると、6割近い人が、苦労することに積極的な価値を見いだせていないという現実が明らかになった。この調査は、新入社員の「働くことの意識」について1969年以来半世紀にわたって毎年行われており、その年の新入社員が働くことの意味をどのように捉えているのか、その考え方の変化を知る貴重な手掛かりになっている。

 今年の新社会人のうち、「若いうちは自ら進んで苦労するぐらいの気持ちがなくてはならないと思いますか。それとも何も好んで苦労することはないと思いますか」という質問に、「進んで苦労すべきだ」と答えた人の割合は、2012年の約70%から4割近く減って43%となった。逆に、「好んで苦労することはない」と答えた人の割合は約15%から約37%へと2倍以上に増加し、「どちらともいえない」(約20%)と合わせると約57%の新入社員が、苦労することに意義を感じていないのだ。7年前、苦労の値打ちを認めない、あるいは懐疑的な人は、苦労の価値を肯定する人の半分以下しかいなかったが、今や苦労否定派が優勢となってしまった。「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉はまもなく死語になってしまうのだろうか。


◎本来の「苦労」は、より大きく本質的な喜びを得るための投資

 そもそも「苦労は買ってでもせよ」というときの「苦労」とは何を指しているのだろうか。それは、「精神的、あるいは肉体的に苦しい思いをし、辛さに耐える」というような単純なものではないはずだ。本来、「苦労」という言葉には、何らかの目的を達成するために、望む成果を手にするために行うポジティブな「投資」という意味も含まれているはずだ。私たちは苦労と成果の因果関係を経験的によく理解している。より大きく、より本質的な喜びを得るためには苦労という投資が欠かせない。

 たとえばスポーツ選手にとって、日々の苦しいトレーニングは、新しい技術を習得したり、目標とする記録を達成したり、あるいは勝利を手にするための「投資」である。彼らの試合での記録や勝敗は、練習量、つまりは、どれだけ苦労したかによって大きく左右される。また、学生にとって受験勉強とは、志望校に入学するための「投資」である。遊びたい気持ちを抑えて勉強に集中するという苦労が出来なければ、将来、経済的に不利益を被る可能性が高い。

 しかし、苦労という投資を実行に移すことは難しい。ダイエットで甘いものを我慢できずに苦労することは「健康で長生き」という大きなリターンを得るための投資であるが、ダイエットに成功する人は少ない。残念ながら、うまく苦労できなかったことを後悔しない人はほとんどいないだろう。誰にでも、「あの時、もちょっと頑張っておけば・・・」という投資不足の苦々しい経験があるはずだ。苦労という投資は分かっていてもなかなか実行できないものだ。 


◎「苦労 = 投資」を実行に移すために必要なたった1つのポイント

 人間は優れた理性によって、将来の理想についてあれこれと思い描いたり、人生をより良いものにするために計画を立てたりすることができる。また、夢を実現するためにどのような努力が必要かということも想像することができる。しかし、いくら「こうすれば成果が上がる」ということが頭では分かっていても、苦労することは億劫なものだ。たいていの場合、面倒だという感情には意志の力では太刀打ちできない。人間は理性だけでなく、少しでも楽をしようとする性質も併せ持っている。しかも、この性質は理性よりはるかに強力だ。目の前に平らな道と上り坂があれば、たいていの人は無意識に平らな道を選んでしまう。


 ところが不思議なことに、積極的に苦労が必要な課題に挑戦する人がいる。日々の勉強にめげることなく積極的に取り組み続ける子ども、誰もが嫌がる困難な役割を進んで引き受けて力の限り努力する人、多くの人が敬遠する地域自治会やPTAの役員を自主的に引き受けて活躍する人など、読者の周りにも、そのような人がきっといるはずだ。しかも、そういう人はきちんと成果も出してしまう。

 20年以上にわたる様々な研究が明らかにしたところによると、苦労することが得意な人は、学業、スポーツ、ビジネス、家庭生活、その他人生のあらゆる場面で成功している。では、苦労することが得意になるためには何が必要なのだろう。それは「困難に感じられるネガティブな出来事に遭遇しても、そこにポジティブな意味を見出せる能力」である。成功する人はどのような出来事からもポジティブな意味を読み取ろうとする。苦労しそうな状況に置かれたとしても、ネガティブな要素よりもポジティブな要素に注目し、苦労を楽しんでしまう。つまり、苦労にポジティブな意味付けをするのが上手いのだ。変化や競争が激しく、やたらと苦労の絶えない時代に、この能力はとても大きな競争優位を生みだす。ところが、残念なことに日本の学校や企業の教育システムは、失敗する人を減らすことに熱中するあまり、成功する人を育てることにはほとんど関心がない。


◎「脱ゆとり」が競争力の低下に拍車をかけている

 苦労を避けようとする新入社員が増殖し始めたのは2013年だった。つまり、「ゆとり教育」が方向転換を迫られた直後から新卒者のチャレンジ精神は低下し始め、苦労を避けたいと考える人が2倍以上に増加したのだ。ゆとり教育は、目先のテストの点数を上げる「詰め込み教育」を「点数にとらわれず、大人になってから本当に役立つ力を身につける教育」に変える試みだった。しかし、今やゆとり教育の理念は事実上否定され、学力至上主義が力を盛り返している。

 「大人になってから本当に役立つ力」の代表格が「苦労にポジティブな意味付けをする能力」だ。現代、多くの職業に従事する人にとって、蓄積した知識や技術の価値が低下している。大学で学んだ知識の多くが6~7年で陳腐化してしまうとも言われる。世の中で行われているあらゆる業務のうち、マニュアルでは対応できない仕事が4割に達しているという調査研究もある。つまり、教科書の範囲内から出されるテストでいい点数を取る能力だけでなく、試行錯誤する能力が高くなければ、求められている付加価値を生み出すことはできなくなったのである。

 ゆとり世代と呼ばれる若者たちから世界に通用する優秀な人材が多く出てきている。世界で活躍するゆとり世代の特徴は、第一に「失敗することを悪いことだと思っていない」ことだ。彼らは苦労にポジティブな意味付けをするのが上手い。ここで一苦労すれば、「自分の能力が上がる」、「仲間を助けることができる」、「世の中の役に立つ」など、目の前にある困難な課題に前向きな意味を見出すことが実に上手い。彼らがネガティブな出来事を柔軟に受け止め、前向きに対処できるのは、苦労が報われた経験を多く持っているからだ。


◎「ポジティブな意味付け」は誰でも身につけられる技術である

 さて、人が「苦労が報われた」と感じるのはどのような時だろうか。言いかえれば、私たちは、どんな時に苦労を受け入れ、どんな時に苦労を避けようとするのだろうか。苦労してよかったと思えるのは、苦労(投資)に比べて喜び(リターン)が十分に大きい時である。たとえば、100の苦労をしたのに100の喜び、あるいは50の喜びしか味わうことができなければ、人は「苦労は報われた」とは感じない。しかし、100の苦労をした結果、200、300の喜びを味わうことができれば、人は「苦労は報われた」と感じるだろう。

 ここで、「いきなり100もの苦労をするのは難しい」という声が聞こえてきそうだ。だが心配には及ばない。たった10の苦労でも、リターンが2倍か3倍になれば、人は「苦労は報われた」と感じることができる。小さな苦労でも構わないので、それが十分なリターンを生みだすことを1回でも多く経験することが、困難な課題に直面したときに前向きな意味を見出す能力を鍛えてくれるのである。 

 では、どんなときに苦労から生み出されるリターンが2倍、3倍と大きくなっていくのかを考えてみよう。それは好きなことや得意なことをやっているときだ。ランニングの愛好家がいい例だ。彼らも初めから何十キロも走れたわけではない。しかし、3キロ走り抜くことができれば喜びを感じ、休日ともなると朝から走り始めるようになる。そして5キロ10キロと走る距離を伸ばしていく。彼らは小さな達成感を繰り返しながら、ついには2本の足で42.195キロのフルマラソンを完走できるようになる人もいる。彼らは走り続けることで、費やされた苦労をはるかに凌駕する大きさの喜びを得るのである。

 好きなことから始めることは、ポジティブな意味づけの能力を鍛えるうえでとても有効だ。自分の好きなことで達成感を得るというのは、人間にとってとても幸福度の高い報酬である。このとき苦労は大きな喜びや感動の一部となり、人は苦労を苦労だと感じなくなる。そして「好きなこと」が「得意なこと」にも昇華し、より大きな苦労に挑戦するようになる。そして、大変な苦労の末に偉業を成し遂げられるようになるのである。

 有能な人間を育てたいのであれば、好きなことで努力することを一つでも多く経験させてあげるに限る。「ポジティブな意味付け」というのは実は技術である。この能力は小さな喜びを繰り返すことで誰でも身につけることができる。しかし、「脱ゆとり」は子どもたちから好きなことにのびのびと取り組む時間を奪い、日本企業のマネジメントシステムは従業員の意志や得意とする能力を活かそうとしない。「好んで苦労することはない」と考える人が増え続ける社会や企業に明るい未来は決してやってこない。


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