「進化心理学・脳科学のレンズを通して政治・経済・一般常識を読み解く」

人間は幸せを感じながら働くことで能力を高めるように進化した


~ 幸福とビジネスの関係についての常識革命 ~

藤原 尚道

◎ 年収3000万円稼いだら、人は幸福になれるのか?

 いまルノー、日産、三菱自動車の3社連合を率いてきたカルロス・ゴーン元会長が逮捕された事件が世間をにぎわせている。彼が行ったとされる行為が逮捕を必要とするものであったのかどうかの議論はさておき、元会長が自身の報酬に人並外れて執着する人物であったことは、各種の「動機づけ」がもつ効果とメカニズムを知っていれば簡単に予想できることだった。

 彼のアイデンティティーが数字で表現できるもの(その代表がお金)に大きく依存していることは、これまでに彼が行ってきた経営判断や、2017年1月の日経新聞に連載された「私の履歴書」に彼が書いたことを見ればすぐに理解できる。ゴーン元会長が実践してきたのは、まさしく米国流の経営スタイルを先鋭化したものだった。経費を削減するために2万人以上の従業員をリストラし、伝統ある公式野球部を休部した。さらには、業績に応じて報酬が変わるインセンティブ制を導入し、会社のビジョンを浸透させるために数字で社員に語りかけた。

 幸せをもたらすものとして、たいていの人の頭にまず浮かぶのはお金だろう。誰でも一度は「宝くじが当たったら・・・」「たくさんボーナスがもらえたら・・・」などと空想したことがあるはずだ。では、お金はどの程度人に幸福感を与えるのだろうか。給与、ボーナス、成功報酬などの金銭的な報酬が産業革命以降、労働者を仕事へと向かわせる動機づけとして用いられてきた。生きて生活することを可能にしてくれるお金は、間違いなく私たちに幸福をもたらしてくれる。社宅など福利厚生制度も実質的には金銭的な報酬に含まれる。

 確かにお金には人を惹きつける強力な魅力がある。なぜ、私たちは働くのか?なぜ、毎朝眠い目をこすりながらベッドから這い出す毎日を送っているのか?それは、毎月きちんと給料をもらい、幸せな生活を送るためだ。ところが、お金が人にもたらす幸福感には限度があることが知られている。だから年に10億円もの報酬を得ても満足を得ることができずに、ゴーン元会長は更なる金銭的報酬を求めた。


◎ お金に頼って幸福を目指すと、幸せになれないばかりかさらに大きな損もする

 2002年にノーベル経済学賞を受賞した心理学者ダニエル・カーネマン教授の研究によると、幸福感は年収7万5000ドル(約850万円)までは収入に比例して増えるが、それを超えると比例しなくなる。2014年に内閣府が発表した日本での調査によると、世帯年収が1000万円を超えるあたりで幸福感は頭打ちし、それ以上になっても逆に幸福感がすこしずつ減ってしまうという。

 しかも、場合によっては組織に対してとんでもない悪影響を及ぼすのが、お金というインセンティブに頼って従業員のやる気を上げようとすることだ。自分が手にする給料やボーナスに影響する仕事を、あたかもうまくこなしているかの様に見せかける「ゲーム」が横行し、従業員同士は自分の評価をより良く見せようと不要な競争や、足の引っ張り合いへと走るようになってしまう。例えば、担当する生徒の成績に応じてボーナスを支払うことにしたアメリカの某教育委員会は、生徒の答案を書き換えるという不正に手を染める教師がたちまち増殖したことに愕然とすることになった。

 お金の力を過大評価することの損失はそれだけにとどまらない。十分に幸せを感じていないという状態は、現代の変化のスピードが早く競争が激しい環境において著しい不利益をもたらすことになる。幸福感にはじつは、人に主体性を発揮させ、普段よりも高い能力を発揮させ、さらに高い能力を形づくっていくという機能があるのだ。「幸福力」(幸福感がもつ人間の能力を拡張・形成する機能)は、とくに営業や開発、サービス・接客など、業務の多くの部分をマニュアル化することができず、従業員一人ひとりがその場の状況に応じて、創造性に富んだ対応をすることが求められる職場での活用が進んでいる。

 現代は、幸福感がもつ機能を活かせないようでは、従業員も企業もともに成功を収めることができない時代だ。しかし、この「幸福力」のスイッチを入れるためには、働く人々が働くことに幸せを感じられるようでなければならない。人間は幸せを感じながら働くことで能力を高めるように進化してきたのだ。ところが、日本ではじつに94%もの従業員が職場で「幸福力」を始動できるほどには幸福感を感じていない。職場で活躍も成長もできずにいる人たちは「将来いつか訪れる幸せ」ではなく、「今現在の幸せ」に餓えている。では、お金以外の幸せ、数字化できない幸福とは何か。


◎ 幸せを感じながら働ける職場をつくることがビジネスを成功させる

 ゴーン元会長が推し進めてきた、数字だけに頼った米国流の経営では、ビジネスを成功させることはできなくなった。しかし、多様性の国アメリカでは常に過去の常識を大きく塗り替えるような画期的なチャレンジが行われている。それは企業経営の手法についても同様であり、よいアイデアが見つかれば前例にとらわれずに取り入れようとする。

 1973年以来黒字経営を続ける世界唯一の航空会社、サウスウエスト航空の経営手法は常に世界中のビジネスリーダーたちの注目を集めている。1991年の湾岸戦争で燃油が高騰したとき、同社の従業員組合は会社側に「心から湧く燃料」 計画を提案した。これは燃油高に苦しむ会社を援助するために、自分たちの給与を一部カットしてほしいという申し出だった。普通ではありえない話だが、サウスウエスト航空の従業員たちは会社を信頼し、コスト削減にも自主的に協力する。

 サウスウエスト航空の従業員たちが、会社の経営を自分のことのように思い、自己犠牲を払ってまで会社に忠誠を尽くそうとするのは、同社がお人よしばかりを選んで採用しているからではない。それは同社が掲げる「従業員第一主義」という経営方針が本物だと従業員たちが心の底から信じているからだ。サウスウエスト航空の経営陣や管理職は、一人残らず「従業員が情熱的かつ誠実に働いてくれなければ、熱狂的に会社を愛してくれるファンを作り出すことも、経営状態を健全化することも絶対にできない」と信じている。

 2001年9月11日の同時多発テロ発生後、世界中の航空会社が軒並み赤字に転落する中で、サウスウエスト航空だけが利益を計上したことは多くの人を驚かせた。さらに、その数年前にギャラップ社によって発表されていた「従業員エンゲージメントが企業業績を予測する最も正確な先行指標である」という研究の正しさを印象付けた。ギャラップ社の研究成果は、心理学の各分野で行われてきた実験などによっても裏付けられている。さらにスポーツの分野でも、監督やコーチがチームを勝利に導くために最も手っ取り早い方策は「選手に幸せを感じながら練習に取り組んでもらい、試合に挑めるようにする」ことだった。そこで私たちがクリアにしておかなければならない課題は、従業員にとっての「幸せとは何か?」という問題である。


◎ 幸福とは3本のシリンダーが2列並んだV型6気筒エンジン

 この夏、《こころの不思議を解き明かす》と題して、高校生を対象とした日本心理学会主催の公開シンポジウムが開催された。心理学の主だったテーマや研究方法などについての各種講演が終了した後に、受講者である高校生が自由に質問できる時間が設けられた。様々な質問に続いて一人の女子生徒が尋ねた。「幸せって何ですか?」

 こうした質問に対して多くの心理学者は苦笑いしながら、ありきたりの回答をするしかない。しかし、会場がどよめく中、壇上で質問を聞いた教育心理学会の重鎮市川伸一教授はニコリと笑顔を浮かべて、逆にその女子生徒に向かって問いかけた。「あなたは紀州のドンファンと周防大島で行方不明になった2才児を見つけ出したボランティアの尾畠春夫さん、どちらが幸せだと思いますか?」

 心理学は幸福のメカニズムについて様々なことを説明できるようになってきた。市川教授は幸福を、外発的欲求と、内発的欲求、2つの欲求を充足させることだと説明された。外発的欲求には対象が3種類あり、それらを満たすと「人よりお金がある幸せ」「名声や権力を得る幸せ」「美しい(かっこいい)と思われる幸せ」という3種類の幸福を味わうことができる。しかし、これらの欲求はその名の通り外部から満たしてもらう必要がある。一方の内発的欲求にも対象が3種類あり、それらを満たすと「自分の行動をコントロールできる幸福」や「周りの出来事に対処できる幸福」「人間関係に満足している幸福」という3種類の幸福を味わうことができる。これらは前者とは異なり、外部の何かに頼らなくても自分の中から湧き出てくる幸せだ。

 不幸な最期を遂げた紀州のドンファンは外発的欲求を必死になって満たそうとしていた。一方、素晴らしい勘(鋭い状況判断力)を発揮することができたボランティアの尾畠さんは内発的欲求を存分に満たした生き方をしている。これを「幸福力」との関係から、さらに解り易く単純化するとV型6気筒エンジンに例えることができる。幸福感から力を得るためには、3本ずつ2列並んだ合計6本のシリンダーに、バランスよく燃料を送り込まなければならない。しかし、パッとしないチームのリーダーは1列目のシリンダー(外発的欲求)に送る燃料のことしか考えない。一方で、驚くような成果をあげるすぐれたリーダーは2列目のシリンダー(内発的欲求)に送る燃料のこともとても重要視する。そして、2列のうち1列にしか燃料が供給されなければ幸せになれないばかりか、不正や不必要ないがみ合い、あるいは無気力といった弊害が生みだされることになることを知っている。


◎ あなたは1日に何回「幸福」について考えますか?

 
かつて「幸福とは何か?」というような問題について真剣に考えているのは、思春期から結婚・出産期にかけての女性を除けば、宗教家くらいのものだった。さらに従来の常識では、幸福とは苦労して目標を達成したり競争に打ち勝った後に手に入るものだった。しかし、証拠に基づいて調べてみると、何かを成し遂げたり他人より優れた成果をあげるためには、先に幸福感を感じていなければならないということが明らかになってきた。

 今日、幸福について考えることはビジネスやプロスポーツの世界で最重要テーマの一つだと考えられている。カルロス・ゴーン元会長が「コストカッター」と呼ばれることを誇らしげに語ることができたのは、彼の価値観に外発的欲求を満たすこと以外の「幸せを構成する大切な要素」についての認識が欠けていたからだろう。しかし、そのようなリーダーにはチーム内部からも排除の圧力がかかることになる。世界のリーダーたちはお金や地位以外の幸福への道筋について考えることが必須課題になった。

 人間の進化は幸せを感じながら働くことで能力を高める方向に進んできた。人の上に立つ人間は、お金や地位だけで人を本気にさせることはできないことを肝に銘じ、部下や選手一人ひとりの「6本のシリンダー」をバランスよく燃料で満たすことを真剣に考えなければならない。それが、高度に発達した知的社会の中で企業やチームを繁栄に導く唯一の方法である。


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