「進化心理学・脳科学のレンズを通して政治・経済・一般常識を読み解く」

経済が低迷している本当の理由


~古き良き時代、三丁目の夕日を懐かしむ ~


◎ラーメン文化とともに花開いた高度経済成長

 新横浜にあるラーメン博物館は、多いときには1日1万人、年間に200万人を超える人が訪れる人気スポットだ。この博物館のフードテーマパークは今から約60年前、つまりは昭和33年(1958年)の下町の街並みを再現している。それが他でもない昭和33年なのは、チキンラーメンが発売されたのがこの年であったことにも関係しているかもしれない。チキンラーメンをきっかけにして、ラーメンは急速に各家庭にも浸透し、今や「ラーメン文化」は日本の食文化の一角に独特の存在感を示している。

 昭和33年はラーメン文化が爆発的に発展する記念の年であっただけでなく、日本の経済史にとっても非常に大きな意味を持つ年だった。東京タワー竣工といった極めて印象深く目立つ設備投資も行われ、「岩戸景気」と呼ばれる好景気も始まった。

 「投資が投資を呼ぶ」といわれたように設備投資が景気拡大を主導し、その後、年率10%を超える経済成長が続いていくことになる出発点であるこの年は、西岸良平の漫画を原作として2005年に映画化され大ヒットした映画『ALWAYS 三丁目の夕日』に描かれた時代のモチーフだ。


◎所得が7倍にもなったのに、幸せになれなかった日本人


 昭和30年代から繰り返し行われた心理学の調査によると、日本人の平均的な幸福度は、この時代、つまりは昭和30年代に最も高かったと言われている。現代と比べると社会は貧しく、食べるものさえ十分ではなかったかもしれないが、人々は生活にかつてなかったほどの幸福を感じていた。その後、経済は順調に拡大し、現在までの間に、日本人一人当たりの所得は実質で7倍ほどに増大した。では、幸福度は、相応に大きくなったのだろうか。

 社会の平均所得が増えることによって、生活は見違えるほど便利で快適なものになった。食べるものも、着るものも、住む場所も、当時とは比較にならないほど立派で豪勢なものになった。休日も増えたから、増加した所得の一部は娯楽やレジャーの費用に充当され、人々は様々なレクリエーションを楽しむようになった。

 かつては、少し長電話をしてしまうと家族から嫌な顔をされたものだが、情報通信技術の発達のおかげで、友人や知人とのコミュニケーションは見違えるほど容易なものになった。SNSなどを活用する簡単な技術さえ手に入れれば、世界中に友達の輪を広げることも可能だ。

 所得が増加することで、生活のスタイルは見違えるほど豊かなものになった。しかし、国民の平均的な幸福度は増大するどころか、むしろやや低下している。所得の増大は私たちの生活に様々な恩恵をもたらしたが、それが私たちにもたらしていない唯ひとつのものが幸福感だ。


◎懸命に努力している理由を考えない人たち

 現代社会は、自分のことを奴隷だと思っている人々であふれている。彼らは自分を奴隷だと思いながらも、少しでも多く稼げば、いつか幸福をつかめると信じて懸命に働いている。嫌味で高圧的な上司からの攻撃に耐え、理不尽な顧客にひきつった愛想笑いを浮かべながら、30年の住宅ローンを返済するために、そして最近では顔を合わせることさえ嫌がる息子の学費を稼ぐために頑張っている。しかし、彼らが働く理由や意味について考えることはあまりない。

 どうしてそんなに一生懸命頑張るのかと尋ねてみると、「今は苦しくて辛いけれど、真面目に努力を続けていれば、将来は幸せになれると信じている」といったような答えが返ってくる。結局のところ、彼らに深く考えている様子はない。多くの人はただ本能的に、文句も言わず熱心に真面目に働いている。そして、意味も考えないまま競争に駆り立てられている。


◎高度経済成長は人間が競争を好む本能によってもたらされた

 昭和30年代の前半といえば、ほとんどの人は貧乏で、たいていの人は炭水化物中心の質素な食事をし、所得の割には高額な家賃を払って、夏は暑く冬は寒い粗末な家に住んでいた。しかし、周りの人々もみな似たりよったりで、同じ様な境遇だった。それでも世の中は活気にあふれ、人々は未来に不安よりも多くの希望を見出していた。醤油や電話を借りに行く隣人もあった。

 当時の池田内閣が策定し、昭和36年(1961年)から始まった所得倍増計画は、発表された当初、新聞には「夢物語」だとけなされ、一般の人々も「10年後に月給が2倍になる」などという話を信じられなかった。そもそも池田首相自身が、年率平均7%以上の経済成長を10年間継続するということが、現実に実現可能だと信じていたかどうかは怪しい。

 しかし、日本経済は目標期限の10年間から3年も早い昭和42年には、名目国民所得の倍増を達成し、10年後には3倍を超えることになった。それは、昭和33年に始まった岩戸景気のころから姿を現し始めていた物質的な豊かさを追求する風潮に、競争本能という油がかけられ、消費文化が一気に花開いた結果だった。

 各家庭は隣家とテレビや冷蔵庫などの家電製品の購入を競い合った。女性は女性同士で服装や髪型などで競い合うとともに、無意識ながら自動車を保有している男性を好むことで、男たちに自動車の購入を競い合わせるように仕向けた。子育て世代は、自分の子供の成績を近所の子供と比較することに熱心になり、塾通いなどの教育に競うようにお金を使うようになっていった。その結果、「子供をもつことは金次第」という考え方が助長され、両親にとっての子どもの地位は、ジャガイモなど下級消費財と似たところにまで引き下げられてしまった。

 日本人は仲間内で競い合うことによって、とてつもなく大きな物質的な繁栄を手に入れたが、その結果、幸せをつかみとるどころか、逆に大きなストレスと矛盾を抱えてしまうことになった。


◎物質的な豊かさは、精神的な貧困と引き換えだった

 人が幸せを感じるための条件は、消して競争に勝つことだけではない。心理学の世界では、幸福を感じる最低条件は三つあると考えている。一つ目は「自己決定への欲求」、これは自分の行動を自分でコントロールできることだ。誰でも自分の考え方やアイデアをもとに行動したいと願っている。二つ目は「有能感への欲求」、これは周りの出来事にうまく対処し、社会の役に立っていることを感じたいという欲求で、競争心は有能感への欲求の一部分であると考えられている。最後三つ目の「関係性への欲求」とは、意味のある人間関係を築きたいという願望だ。何百万年も集団行動によって生き残りを図ってきた人類にとって、信頼できる仲間が常に傍にいるということは欠くことのできないものだった。幸福を研究する心理学研究の第一任者の一人、ソニア・リュボミアスキーは、この3つを合わせて、「人生における基本的な生理的欲求」と呼んでいる。つまりはこの三つが心にとって欠かすことのできない基本的な栄養素だというわけだ。

 こうして考えると、現代日本に暮らすかなり多くの人々が、心の栄養失調にかかっていることが理解できる。いくら人より給料の高い仕事についていても、高級な洋服を着ていても、自分の得意とする能力を活かす場面もなく、信用ならない同僚や上司とともに、好きでもない仕事に明け暮れる生活に、誰が幸せを感じられるだろうか。

 さらに人間にとってダメージが大きいのがコミュニティの喪失だった。核家族化や個人主義が浸透することによって、多くの人が良質な人間関係を築くチャンスを失った。かつて人々は家庭や仕事場の他にも、親戚や地域社会といった居場所をもっていた。そこにはたいてい温かく見守ってくれる人がいて、どんな人にでもその人なりの長所を見つけようとしてくれたから、有能感と関係性の両方をまとめて満たしてくれた。

 会社組織にも、かつては家族や親戚に似た雰囲気があったが、今や社員旅行や社員運動会などの行事もあまり行われなくなってしまい、職場はただ給料を稼ぐためだけの場所になろうとしている。コミュニティの喪失は、人々の精神的な貧困と直結することになってしまった。


◎精神的な貧困が経済成長を阻害するという悪循環

 酒を飲んで愚痴るしかなくなった人々は、幸せを感じられないというだけではなく、実は会社組織や日本経済にとっても大きな問題を抱えている。先ほどあげた「人生における基本的な生理的欲求」は、人が幸せを感じるための条件であるだけではなく、人が能力を存分に発揮し、またその能力を成長させていくための条件でもあるからだ。

 日々強いストレスを感じている人々は、考えの幅が狭まり、行動が限られたものになってしまうから、創造的にアイデアを思いつくことも少なくなる。目の前に目につくチャンスがあったとしても、まったくそれが見えなくなってしまうことさえある。

 また、他人と比較することに意欲を燃やし、給与明細によってやる気を引き出している人々は、競争本能の面ではうまくやっていて、少しばかりの有能感を感じることができるだろう。しかし、彼らの自己決定や関係性への欲求が必要なだけ満たされている可能性は小さいから、彼らが新しい考えに対しても心を広げ、さらに高く幅広い能力を磨き上げていくことは難しい。

 以上のことからも、日本経済が長らく低成長を続けていることは、国民の平均的な幸福度の低下と密接な関係にあることがわかる。日本で科学的な新発見や発明、あるいはイノベーションが少ないことの原因も同じところにある。様々な調査研究によって、従業員満足度などの幸福度が上昇しなければ、生産性の向上や創造的なイノベーションが実現されにくいということが実証されている。

 昭和30年代、社会は現代とは比較にならないほど貧しかったが、人々は豊かな人間関係に恵まれていたし、目の前の問題に自分の頭と工夫で対処することができた。そのことでもたらされた幸福感によって、奇跡とも言われる経済成長を成し遂げた。ところが、経済成長という結果だけを盲目に追求し続けるうちに、日本社会は幸福感のみならず成長の原動力まで失ってしまったのだ。


◎「国難突破解散」では既存の政治は何も変わらない

 経済成長一辺倒であるのに、それが何をもたらしたのかということについては、今日ほとんど誰も考えず、経済成長が何によってもたらされたのかということは議論すらされない。社会が公平感に欠けているという指摘に、政治家たちはバラマキでしか応えない。現在活動している政治家の大半は、古くからある既存の枠組みでしか考えられない人たちだ。中には問題の本質に気が付いている人もいるのかもしれないが、彼らの関心は選挙で当選することだけであって、本気で国民の幸福を実現しようとしている人などあまりいない。

 10月に総選挙が行われることになったが、論戦のテーマとして安倍総理が挙げたのは相変わらず実効性はほとんど見えないスローガンと、「人づくり革命」という新型のバラマキだけだ。言葉の響きだけはいいが、成果を期待するのは難しい。

 国難は是非とも回避し突破したいところであるが、北朝鮮がミサイル発射や核実験によって、何を本当に国際社会に訴えようとしているのかを検討しようともせず、ただ非難だけをエスカレートさせれば、すでに出来上がっている社会の仕組みや利益誘導システムを保持・強化するだけの結果になるだけなのは目に見えている。

 また、高等教育の無償化などに2兆円規模の投資を行うということに一定の意味はあるのだろうが、働くこと自体にやりがいや意味を見出し、学び成長していくことに喜びを感じられるような健全な価値観を広めていくことができなければ、2兆円の資金が生み出すものは、かつて地方に乱立した「飛行機の飛ばない飛行場」に似たものになってしまうだろう。

 もっともっと原理原則論に戻って、私たち家族の生活、私たちが働く職場、私たちが暮らす地域社会、そして世の中をどのような方向へ変えていくべきなのかを、もっと真剣に、深く広く考えていかなければならない。

 さらには私たち自身が、一体何を目指して頑張っているのかということを、もう一度腰を据えて考え直さなければならない。「半世紀以上も前の、実質で現在の7分の1しか所得がなかった貧しい時代の方が幸せだった・・・」などというようなありさまでは、奇跡の経済成長に費やされた労力が、ただ浪費されたということになってしまう。




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  2017年9月 「55年体制」の終焉が見えはじめた 無党派層の増加は政党政治の限界を示す  
  2017年8月 誰が北朝鮮の核開発に力を与えているのか?   
  2017年7月 チンパンジーの生態から読み解く英のEU離脱とトランプ現象  
     



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