「中東、アジアを中心とした国際情勢の本質を掲載 当サイト編集顧問」

国士舘大学政経学部政治学科講師

女性が開き 男が動く 
世界が注目! 新時代を告げるミャンマー経済

【政府の孤立 米国への恐れ】

「ミャンマーの軍事政権が僧侶に対して苛烈な弾圧を加え、社会が大混乱に陥る中で、ソーウイン首相が病死しました。(200710 白血病のため死去

 ミャンマーでは、この事に関して『仏罰が下った』と半ば本気で言われていました。それだけ軍事政権が行った僧侶に対する取り扱いが、ミャンマーの伝統的社会の価値観と乖離していたと言う事だと思うのです」と、タイ在住のミャンマー・ウォッチャーが言うように、この当時の軍事政権は孤立状態であったのだ。

 軍事政権の孤立は、首都の遷都から本格的になったと言える。2003年から、ソーウイン政権はヤンゴンの北320キロに丘を削って、異様な都市を建設。港のある大商業都市であるヤンゴンから山間に人工都市をつくり、政府施設を移す遷都は、おりしも始まったイラク戦争の結果による影響で、独裁政権に容赦なく攻撃を仕掛けるアメリカ軍の急襲を恐れての事だった。新首都ネビド―では、行政区域にはジャーナリストはもとより、一般のミャンマー人も立ち入り禁止とされており、孤立した軍事政権の恐怖感の象徴的存在だ―とは先のミャンマー・ウォッチャーの解説である。

 事実、遷都直後からヤンゴン市内を中心とした僧侶の決起が激しくなり、軍部内の武闘路線が行き詰ったのだ。

【二人の女性が示した開放的経済】

ソーウイン首相の後を受け継いだのが、調整型の官僚タイプであるテインセイン氏。彼に託された課題は社会の和解であり、それはアウンサンスーチー氏との和解を意味した。

スーチー氏が和解に応じたのは、この様な軍事政権の変化に対応したものだと言える。前回でも述べたように、テインセイン政権は次々と改革を行い、自らの生き残りを図っている。中でも、経済的な意味で最も大きいのは、中国への従属的立場から離れて欧米や日本からの投資を受け入れやすくした事である。

そのきっかけとなったのは、2001112月のヒラリー・クリントン米国務長官の訪問である。米国の国務相が公式にミャンマーを訪問したのは実に20年ぶりとなる。ヒラリー長官とスーチー氏が互いにこぼれるような笑顔を見せあい、握手している写真が全世界に配布され、華やかな雰囲気の中で、経済制裁解除に向かう事を広く知らしめたのである。

【年8%の経済成長の これが実態】

制裁緩和の象徴的なのが、発展の遅れていたメコン川流域の開発だ。アジア開発銀行(ADB)や世界銀行が4半世紀ぶりにミャンマー融資の再開に動き、ベトナムのホーチミンからタイまでの幹線道路が開通した「南部経済回廊」は、更にミャンマーのダウェイに伸び、インドにまで延長する道筋が見えて来た。もしこの経済回廊が完成すれば、インド洋と南シナ海が陸路で結ばれ、域内の産業や物流が強化される。その経済的効果は計り知れない。この中心的な地域となるのがミャンマーである。

事実、アジア開発銀行が820日に発表したところによれば、ミャンマーがこのまま大胆な経済改革を進めれば、年78%で成長。2030年までに1人当たりの国民所得は3倍に増え、中所得国になると言う。

この様な大局的な流れの中で、本格的に世界各国の企業が動き始めた。ヤンゴン中心地のホテルは連日満室。急に表れたまっさらな市場でいち早く有利な位置を占めようと、世界中からビジネスマンが押し寄せているのだ。

ミャンマーの人口は6000万人、識字率は高く、仏教が生活に根付く穏やかな社会で、人件費はヤンゴンの一般工職で月額68ドル。JETRO資料によると、200124月現在、アジアの各都市(15都市)でバングラデシュのダッカより低く最下位、バンコクの4分の1にも満たない。人件費が高騰している中国の上海の約15.4%、北京の約12.6%でしかない。特に最近の中国やタイ、ベトナムでの賃金上昇を鑑みると、ミャンマーの相対的メリットはより高まっている。

特にタイでは、インラック政権の人気取り政策のおかげで、今年の41日から全国で最低賃金が約40%引き上げられており、企業の生産コストが大幅に上昇する事が予想されているのだ。この様に、周辺国の賃金が上昇する中で、ミャンマーは魅力的な労働市場でもある。

【日本政府の役割はミャンマーの民主化推進】

こんな中、日本とミャンマーの関係は2011年、16年ぶりのミャンマー外務大臣訪日を皮切りに、同年12月、玄葉外相のミャンマー訪問。その後の枝野経産大臣の訪問等があり、順調に推移しているようだ。特に経産相の訪問には、経済団体の代表や商社等、多くの日本企業関係者がそのミッションに参加。以降、テインセイン大統領を始め、ミャンマー政府関係者との交流を進めている。

●言論規制はまだ続いている

この様に、経済的側面から眺めて見れば、今後、ミャンマー市場を舞台に日本、中国、欧米資本の激しい競争劇が展開される事が予想できるが、問題はミャンマー国内の民主化が始まったばかりで、まだまだ楽観を許さない状況である事だ。

例えば、ミャンマー情報省が、20102820日、国内のメディアが発行する新聞や雑誌に約50年に亘って実施してきた事前検閲制度を廃止すると発表。しかし、代わりに事後検閲制度がスタート。発禁処分を恐れた地元メディアの記者や編集者達は以前と変わらず自己規制を強いられ、報道の自由にはほど遠い状況だ。

●いまだ不安定なミャンマー議会

また、議会でも一進一退の状況が続いている。ミャンマー議会の下院が、外資導入を促す「新外国投資法案」に対して、外資規制を強める内容に修正。この背景には外国企業の進出に反発する国内企業の意向があるのは確実だ。企業誘致に関する基本法である「新外国投資法案」が、規制を強める方向になれば、外国企業の誘致で雇用を確保し、輸出主導で経済発展をしようとするテインセイン政権の基本経済戦略が破たんする可能性も出て来た。

昨年発足した議会は、軍人が無選挙で定数の4分の1を占め、残りが選挙で選ばれる事が憲法で定められている。憲法を改正するには4分の3が必要で、民選議員がこの制度を変える事はまず不可能。民政移管と言うが、非常時には軍が全てを掌握する事となっており、軍政を温存しながら選挙と議会の体裁を整えると言うのが実情である。それでも議会が発足し4月の選挙ではスーチー氏を始めとする国民民主連盟(NLD)のメンバーが議員となった。

●国民の実感が未来を創る

半世紀も民主主義の経験のないミャンマーでは、民主的な法律や制度の理解と運用能力が不足している。政権側も野党側も内部の改革派と守旧派の混乱が起こる事も十分に予想できる。更には少数民族問題も残っており、近代国家の基本となる国民国家の成立基盤も完全には整っておらず、経済発展のための技術、人材全てが不足しているのが現状だ。民主化への基盤は依然脆弱であり、この様な状況下でミャンマーの民主化を後戻りさせないためには、日本を含む国際社会が民主化への動きを最大限支援し、民主化を定着させる事。更にはその成果をミャンマー国民が実感できるようにする事が何よりも重要である。

【喰うのではなく 分かち合う】

この様な視点に立てば、スーチー氏の父親であり、ビルマ独立の父と呼ばれるアウンサン将軍が、旧日本軍に入って受けた軍事訓練を基に、英国相手に独立戦争を戦ったというつながりもあり、ミャンマー国民にとって日本の位置付けは悪くない。しかも日本が戦後に復活させた途上国援助(ODA)は、当時のビルマから始まった。軍事政権下では関係は希薄となったが、今年4月から、社会を支える人材育成、少数民族や貧困者の生活支援、インフラ整備などの経済基盤を固めるための経済援助を決めている。この様な日本の経済援助の内容は、いずれもミャンマーの民主化の基盤となり得るものだ。

これらの政府援助が着実に実行される事はもちろん重要だ。しかし、今後進出して行く企業家達も単にミャンマー国民を低賃金で使えるコスト削減の対象と見、大きく成長するマーケットという位置付けのみで扱うのではなく、同じアジア人、民主主義社会を志向する同じ価値観を持った重要なパートナーとして見て行くのが必要な事だと思われる。


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