「中東、アジアを中心とした国際情勢の本質を掲載 当サイト編集顧問」

国士舘大学政経学部政治学科講師

タイの反政府の実態、第4話

長期化する政治対立の原因、タクシン政治の明と暗



◎タイ戦後初の農民救済にスポットをあてた政治手法

現在タイ国で起きている出口の見えない鋭い政治対立の根底には、1930年代の近代化革命を担った二人の政治家の存在がある事を先月号で指摘した。今月号ではその一人、プレディーパノムヨンの系譜に繋がる「タクシン的な政治」が引き起こした対立の構図にアプローチしていきたい。

プレディーは欧米流民主主義の立場に立つ官僚で、軍人出身ピブンソンクラームの強圧的な政治手法に反対していた。第2次世界大戦中は二人とも色合いは違うが、それぞれの立場が絶妙なバランスを採る事となった。その結果、タイ国は日本と同盟を結び、英米相手に宣戦布告まで行ったのにもかかわらず、戦争が終わった後に敗戦国の扱いを受けなかったのである(2014年4月号参照)

戦後は冷戦構造の中で反共の立場を貫くためにピブンが首相に再任され、民主主義的政治手法を採り乍らも、強圧政治が継続された。ピブン失脚後は国王の政治的役割が復活し、プミポン国王は王妃とともにタイ国の政治的安定に貢献され、国民から絶大な信頼と尊崇の念を寄せられることになった(2014年3月号参照)。しかし、このような戦後タイ国の政治過程を辿っていくと「民衆・農民」への政治的配慮がほとんど見られないのである。

タクシンはタイ国の戦後政治の中で、初めて農民救済を公約に掲げて登場した政治家であった。2001年、農村を貧困から救うとの公約で総選挙に圧勝したタクシン政権が誕生。新政権は圧倒的な国民の支持を背景とした首相の強力な指導力の下、大規模な農村開発事業や国民の医療負担軽減などの改革を断行。経済成長率を押し上げ、所得格差の縮小にも成功したのである。

政府は小規模な商売を始めたがっている村人に対し、少額の資金を提供、更には農民たちの債務を免除し、より多くの人達が通える初等・中等教育機関を設立。加えて、「30バーツ医療制度」も導入。国民が一度に30バーツ(約90円)を払えば診察を受けられ、入院もできる制度で、多くの農民や貧困層が医療の恩恵に浴せるようになった。国民の49%が農業か農業関連産業に従事しているこの国では経済全体の屋台骨を支える農民層への手厚い社会保障は、経済基盤の底上げに繋がった。このような国民健康保険制度の整備などに加えて、タクシン政権は麻薬の取り締まり、一村一品運動、風俗店の取り締まりやナイト・スポットの深夜営業禁止政策、地方における建設やインフラストラクチャー整備を中心とした公共資金を大量に投入。このタクシノミクスと呼ばれる経済政策の実施などで、タイの社会を活性化させたのである。

 

◎タクシンの強引な政策運営と問題点

だが、多額の公共投資はタクシンの元々の事業であった携帯電話などの情報通信を中心に行われ、インフラ整備事業の利権を通じて政治家の抱き込みや買収が盛んに行われた。更には反対勢力になりうる軍や警察の最高ポストに親族を配置して、自己の政治基盤固めも着実に進めた。加えて、痛烈な政府批判をする事で定評のある英字紙ネーション・マルティメディア・グループ社長の自宅が家宅捜索され、唯一の非政府系TV局と言われていたi TVもタクシン系のシン・コーポレーション・グループの配下へ強引に組み込んでメディアの自由な報道を圧殺し、政権の基盤固めをなお一層強化した。それらの事から、タイ国は国際的なマスコミ格付け機関にこれまでの「報道の自由な国」から「報道の不自由な国」に格を下げられたのである。これら、強引な政策運営は国内に様々な軋轢を生んだ。

2003年タクシン政権は麻薬一掃作戦として軍隊・警察を動員して政府が作成したブラックリストを元にしてリストアップされた人物を強制逮捕・処刑した。しかし、そのブラックリストには無罪の人も多数含まれており、無罪証明書をもらっているにもかかわらず、狙撃され、一家は事実上社会的に追放されるケースも数多く見受けられた。

この作戦での死亡者は政府の公式発表で、民間人2500人以上、軍あるいは警察の殉職者は25人、逮捕者に至っては実に9万人余を数えた。この容赦のない強圧政策は内外メディアから人権的見地による厳しい批判を受け、政府のブラックリストそのものも、タクシン政権に反対する勢力を一掃する目的で作成されたとの批判が相次いだ。

この事が一因となって、タイ南部のイスラム教徒を中心とする勢力の反政府活動が活発化。タクシン政権は開発と投資でイスラム教徒の多い南部のタイへの同化を強要し、一方ではイスラム教徒をテロリストとして拘束するなどの強権政策を進捗させていたのである。この政策は2001年9月11日の米本土同時多発テロ後、「テロとの闘い」を強力に進めていたアメリカ政府からは評価を受けていた。が、イスラム教徒から猛烈な反発があり、2004年4月には警察との武力対立も発生し、100人以上の武装勢力が死亡するという事件も起きている。タクシン政権とタイ南部のイスラム教徒を中心とした対立は今日まで続き、現在起きている反政府デモには多数の南部出身者が参加し、激しい運動を展開しているのだ。

タクシン政権がタイ国政治史上初めて貧困・農民層に目を向けた政権である事はすでに触れた。タクシンが党首を務めた「タイ愛国党」も北京に支部を開設できた初めての政党でもある。更には愛国党幹部やタクシン政権の閣僚の中には副首相やエネルギー大臣などを務めたプロミンルートスリデート、側近で運輸大臣を務めたプームタムウェーチャヤチャイ、農業省副大臣を務めたプラパットパンヤーチャートラックなどといった元タイ共産党員(タイ共産党は現在非合法)が多く、反共色が強い歴代政権とは一線を画した政権でもあったのだ。

 

◎タクシンを上回るインラック政権の手厚い政府援助

これら一連の事柄は当然のことながら強い反発を招いた。特に国王擁護派でタクシン政権の地方に対する手厚い保護政策は国王が行っている開発事業と真っ向から対立し、国王の事業をないがしろにしているとの声が強まった。国王の事業は貧しい農民達に自らの手で保護を与えると言う形で王制の求心力を保っていたからである。加えて、タクシン政権には閣僚内に元タイ国共産党員多数が重要な地位に付いていたことも国王擁護派も含めタイ国の守旧派の反発を招いた。これに都市の中間層が加担し、両者の政治的対立を深めていったのである。この時、近代化の過程でどの国でも起こる都市と農村の対立が他国では例を見ないほどの深刻さで進行していたのだ。

この対立構造の中でタクシン派に属するIT産業やサービス業などの起業家を中心とした新しい利権集団と、守旧派の利権集団の対立も深刻化。タクシン首相とその家族、側近らが公的資金の使い込みや、株売買に絡む脱税事件などで起訴されたことをきっかけとして、2006年に起きたタクシン政権追い落としのクーデターは守旧派に後押しされた軍部の決起が原因となっている。

タクシン首相の国外逃亡後、反タクシン派である民主党が政権を取ったが、2011年に解散総選挙が行われ、タクシンの妹インラックがリードする「タイ貢献党」が第一党となり、タクシン派が再び政権を握る事となった。インラックは選挙公約で兄を上回る福祉と開発促進政策を掲げた事が功を奏したのである。政権についたインラックは兄の政策の継続はもとより、新車の購入、住宅購入などの支援、最低賃金の引き上げとそれに対する政府支援、小学生全員にタブレット型PC支給などの国民に手厚い政府援助計画に着手した。

中でも年間予算とは別に調達する資金を使って、7年間で2兆バーツ(約6兆円)を費やす大型インフラ計画と、コメの価格を従来の相場の1.8から1.9倍で政府が買い上げる農民救済計画が最も大衆受けする政策だった。大型インフラ計画は日本も参加を目指す高速鉄道計画なども含まれており、2014年中にも入札実施を目指していたが、タイ憲法裁判所が年間予算とは別口で2兆バーツを調達するのは憲法違反との判決を下した。

コメの政府購入計画(制度上は、希望する農家から収穫されたコメを担保として農家に融資。通常農民は担保としてあらかじめコメを差し出しているため、金は返済しないので実質政府による買い上げとなる)も、買い入れ価格はコメの品質に関係なく一定に支払われる。だから農民は品質が悪くても収穫量の多いものに生産を特化。結果として、コメは全く売れず、タイ政府の抱えるコメ在庫量は約2200万トン、輸出量の2年分を超える量となり、倉庫は満杯。新規買い入れも不可能な状態となった。更にはコメの輸出を巡って中国の国営企業との間で輸出入の記録がなく、輸入に関する中国政府の承認があった事を証明できないなどの疑惑が浮上している。

インラック政権は2年間この制度を続けているが、昨年7月時点でコメに対する政府赤字額は約7500億円、この金額はタイの国家予算の10%に当たる。現在では想像を絶する赤字に膨らんで、政府からはコメに対する支払いが滞り、農民が反政府勢力と同じく大規模デモを行い、政府に支払いを迫っているのが現状だ。

この現状についてタイの国家汚職制圧委員会(NACC)は2014年1月、コメ買い取り制度の本格的な調査を行うと発表。インラック首相は国家コメ政策委員長としての責任追及される可能性があり、仮に職務怠慢があったとされた場合、首相は刑事訴追されてすべての公的役職から辞任が求められる事となる。

 

◎ポピュリズムの代償と国王を支える伝統的価値崩壊の予兆

この状況を換言すれば、国家財政を破綻させかねないほどのばらまき政策で政権維持を図ろうとするポピュリズム(大衆迎合主義)の「タクシン的政治」に危機感を抱く勢力とのせめぎあいに加えて、史上初めて政治の対象として取り扱われた貧困・農民層と、都市中産階層との軋轢という事になる。このような鋭い対立が起きた場合、一つの決着のつけ方は、総選挙で出た結果を双方が受け入れるという選択肢を採る事だろう。しかし、選挙となると有権者が多い貧困・農民層の指示を受けたタクシン派が圧勝する事は目に見えている。だからこそ、反タクシン派は選挙妨害を繰り返すが、「タクシン的な政治」に代わる手立てがないのが現状だ。このような事態になった大きな原因の一つは、政治的混乱には国王が動くという、これまでに在った解決パターンが見られない事にある。その結果、以下のような情況が発生した。

1. 軍が動かない事=これまでのクーデターを含む軍の動きには国王側の暗黙の了解があったが、今回はそれが得られないのが大きな原因の一つ。

2. 都会の民衆と東北地区の貧しい地方農民との意識のかい離=特に貧困層の政治意識が高まった事でタクシン支持が増え、鋭い政治的対立が生まれており、階級闘争的な様相を示し始めた。

特に2.に関して対立する両者に共通するのは、未だ国王の権威や象徴性には絶大な支持をしているが、国王の政治的存在に対する信頼感が揺るぎ始めていると言える事だろう。その理由としては以下が挙げられる。

1. 2006年12月の反タクシンクーデターでは国王の意向が反映されていたが、それに反して、現在でも親タクシン派の力が衰えず今日の状況が生まれた事。従って最も国王を敬愛していた貧困層・農民層の中に国王の政治的意向そのものに反発する層が生まれ、政治的な力を持ちつつある。

2. アジアン・ヤッピーと呼ばれる新しいライフスタイルを持った中間層が増え、彼らの間では、国王を支えている伝統的な仏教的価値観を拒否する傾向が強い。彼らにとってはどんな高僧でも小学校さえも出ていない無学な人間でしかないという評価となっている。 

以上の事から、国王を支えているタイの伝統的価値観が崩れつつあり、この社会思潮を敏感に汲み取った国王側は今後の王制生き残りのため、政治的ボナパルティズムを採って静観する方法をあえて採用したと言える。

先にも触れたように、「タクシン的政治」は民主的で大衆を重視し、政権内に元共産党員を入れるなど、左翼的な性質を持っており、プレディーの系譜に繋がるものだと言えよう。この系譜に繋がる政権が実権を握ったのはタクシン政権で2度目である。第2次大戦直後にはプレディー政権が発足したが、国民に対して具体的な政策を実行する前にプレディー本人が中国に亡命してしまった(2014年4月号参照)。従って、貧困・農民層を含む大衆が政治に参加し、格差是正を政治課題とした政策を実行したのはタクシン政権が初めてである。だからこそ、これまでに挙げたように様々な問題を含みながらも、民主主義的手続きによる選挙となればタクシン派が圧倒的な支持を得ているのである。言わば「タクシン的政治」は大衆を政治に参加させ、大衆が主導権を握った民主主義政治スタイルをタイの中で初めて実現させたと言えるのだ。良くも悪くも、まずこの現実を受け止める事が大切だろう。

歴史的に見れば、プレディー、ピブン、国王の三つの政治勢力は共にその当時の国難に立ち向かって国家の存続を如何に図るかという点では、それぞれの立場に立つリアルな政治観を持っていた事はこれまで述べてきた通りである。今のタイの政情に解決の道を見い出す喫緊の課題は、二人の政治家がかつて切磋琢磨し、国王が体を張って国情の安定に寄与した事に倣い、タイ国民が各々の立場でリアルポリチクスに徹する事であろう。事態は当時と匹敵するかそれ以上の国難となっているという自覚が必要であると思えるのだ。

 

 

<<バックナンバー>>
2014/4タイ反政府運動の実態、第3話タイ近代化過程で代表的且つ対照的な二人の政治家、軍人出身のピブン氏と官僚出身のプリディー氏  
2014/3タイの反政府運動の実態、第2話タイ国近代化と政治プロセスにおける「国王」の存在
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