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国士舘大学政経学部政治学科講師


第二次世界大戦後70年を迎えて-忘れ去られたそれぞれの開戦理由-第四話(最終話)


ロシア革命後、政治的孤児となったソ連の現実的な外交


◎共産主義国ソ連の成立が世界各国に与えた影響

 第一次世界大戦の最中、ロシアではレーニン率いる共産党勢力が革命を起こし、ロマノフ王朝が崩壊。ロシア帝国が消滅する事となった。レーニン政権は大戦における連合国の立場を放棄し、ドイツと停戦した。当然のことながら、この行為は連合国にとっては戦争の先行きを暗くする重大な裏切り行為である。大戦終了後、旧連合国は新興のソビエト連邦(以下、ソ連)に対して敵対行動をとり、共産主義の全世界的な拡大を恐れてソ連国境を含む広範な範囲で軍を派遣し、ソ連の孤立を図った。その一環として、アジアでは日本のシベリア出兵があり、他の連合国軍が撤退した後も最後までシベリアに留まる事になったのである。


 第一次世界大戦の敗戦国ドイツはベルサイユ条約で国際社会から孤立させられたが、当時のソ連も世界の孤児として封鎖されていたのである。国際社会からはじき出されたドイツとソ連が急速に接近していったのも自然の流れであった。ソ連を拠点とする国際コミンテルン運動はヨーロッパやアジアに浸透し、フランスの政治的混乱、スペインの人民政府樹立、中国共産党の台頭、日本共産党の設立など大きな成果をあげた。が、ドイツにナチスが登場した事でドイツとの関係が変化する。再軍備を目指すドイツはソ連国内でトラクター工場を作り密かに新戦車の開発を図り、禁止されていた航空機製造もソ連国内で行っていた。この当時、ドイツはソ連に最新の軍事技術や製造技術を提供し、ソ連は石油、天然ガスなどのエネルギーをドイツに提供するという親密な共存関係が出来上がっていたのである。この事を背景として、ソ連国内で新しい動きが始まった。それはスターリンという、ヒトラーに勝るとも劣らない独裁者の誕生である。



◎磐石な権力基盤を固めるためスターリンが行った大粛清

 レーニンの死後、後継者となったスターリンは、自らの権力基盤を固めるために1926年12月の党大会でトロツキーなどの反対派約70名とレーニンの盟友のほとんどすべてを党から除名し、主要な者たちを流刑地に追放していった。特にライバルであったトロツキーに対しては厳しく、刺客を放ってパリ留学中のトロツキーの息子を殺害。その後、トロツキー自身も国外追放後滞在していたメキシコで1940年8月20日、刺客に襲われ、後頭部をピッケルで打ち砕かれるという無残な殺され方をしたのである。


 これらの党内の権力争いは1934年までには大方スターリンの勝利に終わる。しかし、それでも猜疑心の強いスターリンは不十分と考え、党と軍部の粛清(反対派の完全除去)を行う決意をした。そもそも赤軍は、帝政ロシア軍を母胎として、スターリンの政敵であるトロツキーが創設した軍であった。スターリンから見れば、当時の赤軍は自分を裏切るかも知れないという猜疑心と共に恐怖心の的であったのだ。
 赤軍に対するスターリンの大粛清の始まりは1937年6月。国内戦の英雄で、赤軍最高の頭脳であったトハチェフスキー元帥(国防人民委員代理)を始めとする赤軍最高幹部8名が、ドイツのスパイ容疑という名目で突如逮捕した事である。7名(1名は逮捕直前に自殺)が6月11日の秘密軍法会議で有罪判決を受け、控訴なしでモスクワのルビヤンカ刑務所で即刻銃殺された。トハチェススキー元帥は国民の信頼も厚くそのまま放っておくとスターリンの政治基盤を危うくする可能性があったため、ライバルをつぶす必要があったのだ。
 トハチェフスキー元帥という後ろ盾をなくした赤軍には、以後1937年から38年までの間粛清という名の大虐殺旋風が吹き荒れた。元帥5名中3名、軍管区司令官(大将相当)15名中13名、軍団長(中将相当)85名中62名、師団長(少将相当)195名中110名、旅団長(准将相当)406名中220名、大佐階級も4分の3が殺され、旅団長以上の幹部と政治将校の実に45%、高級将校の65%が粛清された。同期間中に赤軍全体で実に4万名以上が粛清された計算になる。また赤軍軍人で共産党員だった者は30万人いたが、そのうち半数の15万人が1938年代に命を落とした。これら上部・中堅司令官を大量に失った赤軍は瓦解寸前の状態にまで落ちたのである。



◎世界の孤児同士が結んだ独ソ不可侵条約

 党と赤軍に対する大粛清を実行する一方で、スターリンは1928年に始めた第一次5か年計画から戦争準備を整えていた。スターリン政権が軍近代化構想に着手したのは5か年計画採択間もない1929年7月。これに並行して同じ周期で軍再建計画実施を共産党政治局が決定。スターリン時代の軍再建計画が作成された原因は1918年3月に結ばれたブレストリトウスク条約にある。第一次大戦中、連合国側に加担して戦っていたロシアに革命政権が誕生し、ドイツと単独講和を結んだ条約がそれである。何の前触れもなく、戦線から離脱した革命政権に対して、連合国側は約束が違うとして誕生したばかりのソ連邦に軍隊を派遣した。この時日本も連合国側に立ってシベリアに派兵。連合国の派兵はピーク時で10万人を超えていた。この内、特に、イギリス、ポーランド、ルーマニアが積極的に反革命勢力を支援したのである。ソ連政府にとっては連合国側に対する強い不信感が残り、革命政府存続ためには軍備増強が喫緊の課題となっていた。従って、当初はソ連の潜在敵国とされたのが近接するポーランドであった。が、やがてドイツに変わった。


 仮想敵国がドイツに変わったのは通常、ヒットラーが政権に就いて共産勢力を一掃する政策を実行した1933年だとされている。が、1940年6月にフランスがドイツに降伏してからという事がどうやら真実らしい。フランスの降伏により、欧州大陸にはドイツとソ連しか残っていなかった。その事がソ連の危機感を募らせた。事実、1941年の初めまでに軍秘密再建計画で要求される軍事支出は全国家予算の40%までに増大したという。ソ連が始めた社会主義計画経済の象徴とも言える5か年計画は1928年から32年まで続いた第一次から1986年から90年までの第十二次まであった。5年間の目標を定め、生産、流通、分配の一切をこれに沿って行った。この中では重工業が偏重され、国民生活に犠牲を強いた。が、この計画の結果、ソ連は急速に工業国となった。重工業化そのものが資源と人員を軍や軍事産業に集中させる巨大な動員計画になっていたのである。しかしながら、十分な準備を整えるには時間が必要であった。そのために結ばれたのが、1939年8月23日モスクワで調印された独ソ不可侵条約である。その背景には、計画推進のため、ソ連にとってドイツの技術的協力を必要としたのは言うまでもないだろう。ドイツにとってもソ連のエネルギー供給は必要であった。


 独ソ不可侵条約と同時に結ばれたのがモロトフ・リッペントロップ秘密議定書である。当時のソ連外相モロトフとドイツ外相リッペントロップが欧州分割についての秘密文書を交わした。それによると、ソ連はドイツのポーランド侵攻に中立を守る見返りに、ポーランド東部、バルト3国、ベッサラビアなどを勢力圏に置くことが決められた。ドイツとソ連の不可侵条約は当時の世界にショックを与えた。とりわけ大きな影響を受けたのは日本である。防共を標榜し、ドイツとともに反ソ連勢力の結集を政治課題としつつドイツとの軍事同盟を討議していた当時の平沼内閣は、日本政府を無視したドイツのやり方に驚き呆れ、8月28日「欧州の天地は複雑怪奇」という声明とともに総辞職した程である。


 しかしながら、第一次大戦の敗戦国ドイツとロシア革命後連合国側からつまはじきされたソ連は共に政治的孤児として協力し合う事が多かったのである。例えば冒頭に触れたように、ナチスドイツが再軍備を計画した時にはソ連領内で戦車の開発を進め、空軍もソ連で機体の開発製造を行い、その技術はソ連にスピン・オフされた。ソ連はその見返りとして、石油などのエネルギーを供給するという関係が続いていたのだ。それらの積み重ねの結果、ソ連とドイツは第二次大戦開始後の1940年3月に通商協定を結ぶ事にまで至っている。ドイツのヒトラー、ソ連のスターリンの両独裁者とも、国益のためにはイデオロギーをさておいてでも協力し合うという政治的リアリティーを持っていたのである。これら一連の動きはヨーロッパの政治的駆け引きの中では歴史上繰り返されてきた事だ。平沼内閣の行動からすれば、日本政府はこの様に冷徹なヨーロッパ政治の駆け引きの真髄を理解できていなかったと言えよう。



◎スターリンの粛清がドイツ軍を呼び込んだ皮肉な現実

 この様な関係を結びつつ互いに利用し合っていた独ソ両国だったが、先に述べたフランスの降伏が事態を一変させる。ドイツはソ連の仮想敵国第一位となった。欧州大陸を片付けたドイツにとって、残るのはソ連のみであったからである。


 ドイツから見て、ソ連軍には多数の弱点がある。先に挙げた赤軍の大粛清で 現場監督である佐官クラスも大量に粛清されたので、戦闘機構以外の部門も弱体化。兵站、工兵、築城関連のスペシャリストがいなくなったので、生産された兵器が戦力にならないという異常事態が起きる。即ち、兵器を輸送する部門、配備する部門、メインテナンス部門などが機能しづらく、その上、粛清で軍が委縮してしまっており、志気も上がらない。その結果、軍隊が組織的壊死をおこし、特に機械化されるべき部隊と、空軍が大打撃を受けた。ましてや、ソ連の軍事技術の基本はドイツからもたらされたものである。この意味でもソ連軍の弱点をヒトラーは知悉していたのである。


 この状況を見て取ったヒトラーは、対ソ連戦を本気でやる事を決意した。ある意味、粛清がドイツ軍を呼び込んだと言える。赤軍は独ソ不可侵条約にのって、ポーランドを東から攻めたが、その時に動いた戦車、トラックの整備も事欠いたのが実情だ。


 1939年11月、レニングラード防衛のためフィンランドに基地を構築する目的で赤軍が攻め込んだが、ドイツ軍の最新装備を備えたフィンランド軍の強力な抵抗に遭い、苦戦を強いられた。赤軍は当時のフィンランド男性人口の5倍の兵士をつぎ込み、フィンランド軍の5倍にも上る戦死者を出してやっと勝利できたのである。



◎スターリン・ヒトラーという二十世紀最強の独裁者の共通項

 ドイツのソ連侵攻は様々なところから正確な日時などがソ連上層部に伝えられていたが、スターリンがそれを受け入れなかった。1941年6月22日、ソ連国境に集結した450万のドイツ軍が3個軍集団に分かれて一斉にソ連領へ侵攻した。ドイツの電撃的な進撃に衝撃を受けたスターリンは茫然自失となり、開戦から数日間指揮を執る事が出来なかったと言われている。このため、外務人民委員モロトフがラジオを通じて独ソ開戦を国民に知らせた。スターリンが開戦後初めて国民向けの演説を行い、共産主義者でありながらも、旧来のロシア・ナショナリズムを掻き立てるような口調で徹底抗戦を呼びかけたのは開戦後半月も経った7月3日であった。これらの事柄から導き出される20世紀最強の独裁者とされるヒトラーとスターリンの共通項は、まず第一に自らの政治的判断に対する常軌を逸した過信。そして、そうであるが故に現実が思い通りにならなかった時の判断機能の麻痺による修正不能状態が続く事であった。この結果、想像を絶する犠牲者が生まれた。政治権力を集中させ、全能になったと錯覚する人間的な弱点が大量の死者をもたらした事になる。この2人の稀代の独裁者の存在がその象徴であろう。



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