「中東、アジアを中心とした国際情勢の本質を掲載 当サイト編集顧問」

国士舘大学政経学部政治学科講師


拡大する欧州難民問題の経緯と展望 第一話



難民処遇に温度差が生じているEU諸国



◎欧州に押し寄せる戦後最大級の難民流入

 ギリシャの債務危機が先延ばしとなり一段落ついたのもつかの間、ヨーロッパに第二次世界大戦後最大となりそうな難民流入が起きている。8月に入り、内戦下のシリアやイラク、アフガニスタン、リビアなどからヨーロッパを目指す人々が一気に増加。ギリシャなどの経済的に問題を抱えた国に上陸し、豊かな北の国ドイツやスエーデンを目指している。すでにその数は8月末までの段階で50万人に到達。経済開発協力機構(OECD)の予測によれば、年内には最大100万人の難民申請が行われ、35万人から45万人が難民として認められるようだ。


 このヨーロッパ難民問題が日本を含めて世界中に注目されたきっかけは、9月3日トルコの海岸で溺死しているシリア出身のアイラン君(3歳)の写真が全世界のマスメディアに掲載されてからである。これを皮切りにヨーロッパ諸国を始め、世界中の人々が一斉に「人権」の名の下に難民の受け入れを叫び始めた。



◎シェンゲン協定による小国の負担増大

 この予期せぬ事態に突き動かされたEU諸国政府が難民受け入れに関する緊急会議を幾度となく開いたが、受け入れに比較的肯定的なドイツ、フランス、北欧諸国などと経済的負担が大きい中欧諸国の意見とは対立が激しくなっている。これらの対立の基礎となっているのがEU諸国内のシェンゲン協定だ。この協定にはEU加盟・非加盟国併せて36カ国が加盟しており、難民が最初に到着した国で難民認定を受けられれば、域内ではパスポート審査なく自由に国境をまたいで移動する事ができるのだ。今回、ハンガリーやギリシャなど中・東欧諸国が難民の入り口となってしまっており、大量の難民を処理しきれなくなっている。ハンガリーでは一時的な難民の流入を容認したが、その後は強行策として軍を介入させ、催涙ガスを使って難民の流入を防いだ。ボロボロの衣服に幼い子供の手を引いてよたよたと歩く難民の映像を見れば、彼らの決死の越境には同情を禁じ得ないが、人口1千万人足らずの小国ハンガリーが1日3千人以上を保護、管理、登録しなければならないとすれば、酷すぎる現実である。


 最近の報道によると、「難民・移民」と並列に記述する傾向が目立っている。難民、移民とも故国を出て他国に移動してくる事には変わりがないが、中身は大きく違っている。難民とは一体何か。その定義は1951年に国連が採択した「難民の地位に関する条約」によると、「難民」とは「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいれば迫害を受けるか、あるいは受ける恐れがあるために他国に逃れた人々」となっている。一方「移民」の国際的な定義は定かではない。一般的には自由意思に基づいて平和的に生活の場を外国に移して定住する人を指すので「難民」とは立場が異なっている。しかし、現実には難民かそうでないかは受け入れ国の判断に任されており、143カ国ある難民条約批准国に必ずしも受け入れの義務があるわけではない。ともあれ、ハンガリー、クロアチア、スロベニアなどの難民の玄関となっている国には、一時的にせよ彼らを保護して、施設にとどめ置いて難民であるのか否かを確認していく作業は時間、費用共に大きな負担であり、その数の多い事から極めて困難な作業である事は言うまでもないだろう。



◎ドイツの難民受け入れ表明の冷徹な計算と政治的メリット

 従って、難民問題は玄関先となった小国と難民が目標としている北の大国との格差を鮮明にし、EU域内での鋭い対立を引き起こす要因ともなってくるのだ。現在の欧州難民問題を整理していくと、解決の糸口を握るのはギリシャ危機の時と同じようにやはり大国ドイツとなってくる。ドイツのメルケル首相は本年末までに80万人の難民を受け入れると表明。これはドイツの人口1%に相当する数字だ。日本に例えれば、高知県、鳥取県、島根県の人口よりも多く、青森県、岩手県、大分県規模の人口が一挙に増加する事になるのだ。ドイツ政府はこの数年間、年間50万人を受け入れるとしており、今年だけでも難民用に67億ドルを支出、警官3000人を新規雇用して仮設住宅15万戸も建設する計画だ。難民たちが語学学校費用や、交通費まで面倒を見てくれるドイツで暮らしたいと思うのは当然だろう。政府が今の移民政策を変えなければ、単純計算で2060年には難民・移民の占める割合は全ドイツ人口の9%を占める事になるのだ。この様なドイツの難民開放政策の政治的なメリットはどこにあるのだろうか。


 この事については日本のメディアは「ナチス時代にドイツ民族(アーリア民族)の優越主義という人種差別政策を実施し、ユダヤ人を虐殺した反省と贖罪が背景にある」との解説が主流だ。メルケル首相も「難民問題を無視すれば、もうEUではない」と発言し、人道主義とそれを担保すべきEUの理想を掲げ、ドイツが率先してその理念を守る事を強調している。が、単に歴史認識と贖罪及び道義的な理由だけで難民を受け入れているわけではない。実を言うとこの事はドイツの人口動態と密接に絡んでいる冷徹な計算の結果なのだ。現在のドイツの人口は8200万人。これが2060年には6000万人代後半から7000万人代前半にまで落ち込む見通しである。この様に一気に少子高齢化が進むと労働力が不足し、国内市場が縮小して国力そのものが落ちてくる。社会保障制度を一つとっても事は深刻だ。ドイツでは日本と同様に現役世代が高齢者を支える仕組みになっており、現在では3人で1人を支えているが、このままでいけば2060年には2人弱から1人強で1人の高齢者を支えるといった状況になってしまうのだ。目の前に迫りくる国力の衰退化状況を打破するためには、今の内から難民を受け入れ、教育を施し、ドイツ人仲間として活用しようとしているのである。これらの事が基となって、ハンガリーなどは難民問題について、ヨーロッパ全体の問題ではなくドイツの問題だと受け止めており、前述のようにEU域内の難民を巡る鋭い対立の要因ともなっているのだ。



◎EU諸国の格差とナショナリズムが新たな火種

 事はドイツだけに留まらない。EUでは社会の高齢化が間違いなく進んでいる。欧州委員会によれば65歳以上が人口に占める割合は2013年には18%だったが、2060年までには28%に拡大する。更に、この年には80歳以上と14歳以下がほぼ同じ数になる見通しだ。経済協力開発機構(OECD)によると、移民受け入れによる財政的影響は移民を労働市場にうまく溶け込ませることができれば少子高齢化による様々な問題解決に寄与し、財政的にもメリットを生むが、移民の年齢が非常に低かったり、教育程度が低ければ受け入れ国はそれに対する先行投資が必要となってくる。そうなった場合、先行投資に耐えられる国はドイツ、フランス、スエーデンなど数カ国に限られ、この面でもヨーロッパ各国の格差が浮き彫りになり域内対立の火種となってくる。この視点に立てば、シリアからの難民は他の国からの難民より教育程度が高く、労働に対するモチベーションも高いと評価されており、難民の中でも重宝がられる存在となっている。従って、シリア人難民は他の難民よりは難民認定が受けやすく、即戦力になる価値ある難民と見做されているのが現状だ。


 難民問題のもう一つの重要な事はそれぞれの国にあるナショナリズムを掻き立て、難民排斥運動に結びつき、政治的混乱が起きる要因となる事である。ドイツでは地方都市の選挙でメルケル首相支持の女性議員が襲われて負傷する事件も起きており、各地で難民保護施設での焼き討ち事件が頻発している。ドイツのネオナチを含め、ナショナリズムを基礎とした主な政党及び運動体を挙げれば、フランスには脱EUのスローガンを掲げ、勢いを増している極右政党「国民戦線(FN)」があり、イギリスには英独立党(UKIP)がある。特にリスクが高いのがEU残留の是非を問う国民投票を実施する予定のイギリスだ。移民問題はイギリスの有権者にとって大きな懸案事項となっており、反移民感情が高まれば脱EUへの世論への支持がさらに高まる恐れがある。


 この様に見てくれば、難民問題はヨーロッパの景色を一変させるほどのインパクトを持っているように見える。難民問題が深刻化すればするほど、ヨーロッパと世界全体に影響を与える事は想像に難くない。しかし、これらの問題の根本はかくも大量の難民を生み出した事にある。中でも最も重大な問題はシリアの内戦である。この解決にヨーロッパが何も手出しできなかった事、内戦に対するアメリカのオバマ政権の関与がことごとく失敗に終わっている事。その結果、シリア内戦でIS(イスラム国)が台頭し、それに対するアル・カイダとの争いが世界的な展開を見せている事など、様々な側面でシリア内戦は世界中に影響を与えている。次回はこれらの原因となったシリア内戦を述べてみたい。

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