「中東、アジアを中心とした国際情勢の本質を掲載 当サイト編集顧問」

国士舘大学政経学部政治学科講師


南シナ海における「航行の自由作戦」の重要性


◎「公海」と「領海」米・中の交わらない主張

 現地時間2015年10月27日午前6時40分ごろ、米イージス駆逐艦ラッセンが南シナ海の問題海域に侵入。この時点で米海軍の「航行の自由作戦」が開始された。ラッセンはトマホーク巡航ミサイルと垂直発射装置など、最新の兵器システムを備えたアーレイバーク級の第一線戦闘艦である。そのラッセンが早朝の南シナ海でスービ(中国名・渚碧)礁から12カイリ(約22キロ)以内に入った。同艦は中国が人工島を建設したスプラトリー(南沙)諸島の7つの島や岩礁の1つだ。

 中国側のレーダー・システムはラッセンをすぐに捕捉。フリゲート艦と駆逐艦を現場海域に急派。どちらの艦船も米艦とは数千メートルの距離を保ち、追尾を続けた。そして、ラッセンがスービ礁に近付くと「ここは我々の島である。近づくな」、「ゴー・ホーム」と無線通信で警告。その後も両国の艦船は1発の砲弾も発射せず、数時間経つと互いに離れて行った。米海軍はその状況と経緯を「South China Sea Know 」とのタイトルを付けてファイス・ブック上で逐一流していた。

 中国は満潮時には海の下にすっぽりと隠れてしまう岩礁に工事を施し、島だと主張。そして「島」の周囲12カイリを「領海」としていたのである。当然のことながら、この主張は国際海洋法に違反している。ラッセンの12カイリ以内にへの侵入は中国の主張が事実上無効であることを証明する意味を持つ。一方中国からすれば、自国の主張に整合性を持たせるためには、断固排除しなければならない。従ってこの小さな島の周辺で米中海軍の軍事衝突が発生する可能性が高い…このエピソードが米中両国と世界を緊張させたことは言うまでもないだろう。中国は南シナ海の広大な海域の領有権を主張するために、人工島の建設という挑発的な賭けに出た。同様にアメリカにとっても中国が「領海」と主張する海域に最新鋭の戦闘艦を送り込んだ事は、この挑発的賭けに最も明確な回答を示した事になる。今回のラッセン派遣について米側は表向き通常の航行だったという立場をとっている。しかし、中国側の見方は違う。中国政府当局はラッセンの航行を後の記者会見で「不法」、「挑発的行為」と激しく非難。アメリカが今後も同様の哨戒行動を繰り返せば、不測の事態もあり得るという物騒な警告も発している。これまでの歴史的経緯を辿れば、中国がこのように強硬な警告を発する時は実際には何もできない事実上の敗北宣言である事が多かった。


◎シーレーン確保はTPPなど経済政策の生命線

 南シナ海については中国に加えてブルネイ、フィリピン、マレーシア、ベトナムの5カ国及び台湾が何らかの形で領有権を主張。過去20年間、この問題を巡って小競り合いが何度も起きている。そして、海底に油田とガス田の存在が確認されてからは緊張がますます高まった。アメリカの姿勢は一貫して領有権問題には介入しない事になっている。その一方で、この戦略的に重要な海域での航行の自由を主張してきた。南シナ海では年間5兆3000億ドルの貨物が行きかう海上交通の要衝であり、この中の23%がアメリカに発着する貨物であり、日本にとっても石油・ガスの輸入を始め様々なものを輸出入する死活を制する重要なシーレーンである事は言うまでもない。

 中国はこの海域を自国領とし、習近平政権樹立以降、はるかに強硬な姿勢を見せている。2014年以降は南沙諸島で最も大きい3つの岩礁、ファイアリークロス礁、スービ礁、ミスチーフ礁などで大規模な埋め立てを開始。2年足らずで埋め立て面積は約12万平方キロに達し、事実上何もなかった海上に人工島を造成したのだ。衛星画像によると軍用機が発着可能な滑走路が3本も建設されている。こうした中国の強引なやり方が表面化した事でアメリカや東南アジア、更には日本にとっても重大な懸念材料となって来た。米駆逐艦ラッセンがこの海域に入って中国の意思と能力を大々的に世界に知らしめたのには重大な意味がある。もし米軍がこのまま何もせずに放置しておいたとすれば。既成事実を認めた事になり、中国は「南シナ海全体の領有が認められた」と解釈し、尖閣諸島や台湾の存在を巡ってもさらに強硬で大胆な行動に出る事は十分に予測可能である。そうなれば日本も含めてアジア諸国は猛反発し、まさに危機的状況になるだろう。例えばTPP、この貿易協定には世界人口の11%、その経済規模は世界経済全体の36%に達している。しかし、肝心のシー・レーンを自由に航行できないとなれば、実際の運用自体が成り立たない。従って世界第一の経済規模を持つ貿易協定が破綻し、世界経済は中国の思いのままという事態が考えられる。


◎イージス艦ラッセン派遣の本当の理由

 これまでのメディアは一様に「航行の自由」、「シーレーン」、「国際秩序」維持を掲げる日米などと、歴史的領有権を主張する中国のそれぞれの言い分を並べ立ててこの問題を解説して来た。が、経済的な問題に加えて、安全保障上の問題も極めて重要だ。実はこの事が、アメリカがある程度の危険を承知でラッセンを派遣した本当の理由である。今年5月にペンタゴンが出した中国の軍事に関する報告書で2015年内に中国が初のSSBN(弾道ミサイル搭載原子力潜水艦)による核抑止パトロールを実施できる可能性が強いと警告していた。これは中国海軍の普級原潜がバージョンアップを成し遂げ、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)「巨浪2」を搭載して外洋に出てくる可能性を示唆したものだ。中国のICBM(大陸間弾道弾)「東風」は陸上に配備されているため、発射位置が特定されアメリカから先制攻撃を受ければひとたまりもない。その点、潜水艦から発射する核ミサイルは発射地点が特定されにくく、先制攻撃を受けても報復核攻撃が可能である。米ソ冷戦時代は両国がSSBNを海洋に遊弋させ、一方からの先制攻撃で勝敗を決しないような恐怖の均衝を維持していた。この時代、日本も大量のP-3C対潜哨戒機を駆使して、ソ連の原潜をオホーツク海に閉じ込める作戦を実施していたのである。

 東シナ海は中国の沿岸から続いている大陸棚であるため、深さ200メートルほどだ。それに対して南シナ海は水深3000メートルから4000メートルと深い。SSBNが潜航待機するには絶好の隠れ家となる条件が整っている。SLBM「巨浪」の射程は約8000キロと推定されているから、陸、海、空、海兵合計で36万人からなるアメリカ太平洋軍の司令部が置かれているハワイに到達できる。更にはここを拠点として太平洋に出れば、米本土を射程距離内に捕らえる事が可能となる。従って、軍事戦略的な視点を入れれば、南シナ海問題は核戦略のバランスを崩し、アメリカの核の傘で守られている日本にとっても重大問題だ。そうなれば、日本にとっては自らの核武装も視野に入れた安保条約の根本的な見直しが必要となってくる。今回のイージス艦ラッセンの派遣がポセイドン哨戒機とセットになっていた理由はここにある。中国のSSBNを追尾する攻撃型原子力潜水艦、空からは潜水艦探知の哨戒機が索敵、SLBMが発射されればイージス艦を始めとするミサイル防衛システムがこれを撃墜する…この事を中国に示した事になるのだ。ラッセンがこの海域に入った時と前後して、南からはインド洋でインド海軍と訓練を終えたアメリカ艦隊と海上自衛艦隊が日本に帰国のため、この海域を通過。更には日本海では横須賀に基地を置くロナルド・レーガン空母打撃群と海上自衛隊の訓練が行われていた。空母打撃群には攻撃型潜水艦が付属しており、総合的な訓練としては海上自衛隊の潜水艦も参加するのが常識的な見方である。「航行の自由作戦」は米軍のイージス駆逐艦1隻が南シナ海に入った事だけがクローズアップして伝えられたが、周辺では遥かに大規模な軍事的せめぎ合いが展開していたと見ていいだろう。

 当然のことながら、中国軍にとってはSSBNを守るために米軍や自衛隊を南シナ海から排除する必要がある。中国が強引に南シナ海に人工島を作る理由は、南シナ海の制空権や制海権を支配するためである。南沙諸島にある数々の岩礁にレーダー施設を置く事で防空網を張り巡らせ、哨戒機やイージス艦が近づけば同じく人工島に造った滑走路から戦闘機が発進し威嚇する。人工島の整備が整えば東シナ海に一方的に設置されたADIZ(防空識別圏)と連続した形で南シナ海にもADIZがつくられる事になり、南シナ海は軍事的には中国の独占海域となる。


◎1月16日の台湾総統選挙に注視

 これら一連の措置が完成すれば、次には太平洋に面した台湾攻略が容易になる。台湾にとっての軍事的な脅威は飛躍的に高まる。台湾は現在の国民党政権が中国接近政策を採っており、11月にはシンガポールで中国の習近平主席と台湾の馬英九国民党総裁が初めて直接会談。中国と国民党政府の親密度をアピールした。来年1月16日には台湾で住民による直接総統選挙が予定されており、中国から距離を置こうとする民主進歩党の蔡英文主席が次期総統として圧倒的な支持を得ている。この事から想起するのは、1996年にあった初の総統直接選挙の事である。当時は李登輝氏が中国とは距離を置く政策を掲げて圧倒的な支持を得ていた。これに危機感を感じた中国は台湾海峡で実弾を交えた大規模な軍事演習を繰り返し、基隆沖にミサイルの実弾を打ち込んだ。この時私は台湾の金門島に取材に赴き、戦争前夜のような緊迫した状況を身を持って体験している。この時は南北から米空母打撃群が台湾海峡で交差するように入り込み、中国軍は「予定通りの訓練終了」を表明して台湾海峡から引き上げた。その結果、選挙は李登輝氏の圧倒的勝利に終わったのである。これを期に中国は海洋戦略をより活発化させ、海軍の充実に拍車をかけるようになった。

 今回の状況は当時に似ている。現在の南シナ海の状況では台湾の選挙はアメリカにとっても日本にとっても安全保障上重大な時期に実施される。オバマ米政権は12月16日、ミサイルフリゲート艦2隻など総額約18億3千万ドル(約2228億円)の武器を台湾に売却すると議会に通告した。台湾への武器売却決定は2011年9月以来、約4年ぶり。売却するのは高速フリゲート艦や、携行式地対空ミサイル「スティンガー」をはじめとする各種ミサイル、水陸両用車などだ。安全保障上の観点に立てば、台湾は実に重要な位置を占めており、ここに中国軍が進出することになればSLBNが太平洋に出て行く拠点となり得る。この状況の変化を察知して、軍事には鈍い反応しか示してこなかったオバマ政権としても焦り始めた。その結果、アメリカが行った一連の武器輸出は台湾の軍事力強化に乗り出したものと見ていいだろう。この意味からすれば日本のメディアも含めて、我々は来年初頭の台湾総統選挙には大いに注目していかなければならないのである。



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