「中東、アジアを中心とした国際情勢の本質を掲載 当サイト編集顧問」

国士舘大学政経学部政治学科講師



バングラデシュのテロ事件から検証するアジアのテロリズム 第一話


ダッカ・テロ事件の真相なぜ親日国で日本人が狙われたのか


◎首都ダッカで邦人7名が死亡


 2016年7月1日午後9時(日本時間2日午前0時)頃、バングラデシュの首都ダッカ中心部にある外国人客が多いレストラン「ホーリー・アルティザン・ベーカリー」に武装した男達が押し入る人質テロ事件が発生。事件自体は約14時間後に強行突入した警察と軍が犯行グループの6人を射殺し、1人を拘束する事で終了した。が、このテロ事件は日本人にとって衝撃的な事件であった。事件現場には鋭利な刃物等で殺害されたと見られる20人の遺体が残されており、その内7人がバングラデシュの運輸インフラ整備のために滞在していた日本人だった。海外のメディア等の報道によれば、事件当時店内にいた日本人が犯人らに向かって日本人である事をアピールし、バングラデシュを援助するために来た事を伝えたが、完全に無視されたらしい。日本人の常識からすれば、他国の国民生活と国家の発展のために寄与しようとしている外国人をなぜ殺してまで排除するのか理解に苦しむところだろう。ましてやバングラデシュと言えば、多くの日本人にとっては長きに亘る親日国とのイメージが強い。それにも拘らず、この現実を理解するには我々に与えられていたバングラデシュに関する情報は、極めて限定的且つ表面的なものにしか過ぎなかったのだ。


◎バングラデシュの建国プロセスと政治勢力

 実を言うとこの事件はバングラデシュの建国にかかわる凄惨な歴史に根差している。この国はかつて現在のパキスタンの一部であった。インドがイギリスの植民地から独立する際、イスラム教徒の国パキスタンとヒンズー教徒の国インドに分かれた。その時インドの東側に位置するイスラム教徒たちがヒンズー教徒と同じ国家に属する事を嫌い、パキスタンに属する事となり、東パキスタンと名乗った。当時のパキスタンはインドを東西から挟む国家となっていたのだ。しかし、東パキスタンが1970年に巨大サイクロンによる洪水で壊滅的な被害を受けた際、西のパキスタン政府は経済的余裕がない事を理由に、東の住民にとっては冷酷な対応をとった。当時、ビートルズ・メンバーを始めとする各国の有名なミュージシャンが各地で開いたコンサートの売り上げを寄付し、一般にも協力を呼びかけた。日本からも国民的支援のムードが高まり、政府援助と共に相当額の援助を行っている。

 が、当時の東側の住民にとってはパキスタン政府の態度は許し難く、この事が切っ掛けとなり独立運動が起こった。パキスタン政府軍と反乱軍の間で内戦状態が続いた後、インド軍が戦闘に加わり、事実上の印パ戦争となってしまった。そして、最終的にはインド軍の勝利によりバングラデシュとして独立を果たしたのである。その独立の指導者がムジブル・ラーマン初代首相で、その政党がアワミ連盟である。が、独立は果たしたものの、建国後も国民の貧困問題は解決しない中、軍のクーデターでラーマン首相はその家族もろとも殺されてしまった。その後、軍政が続き民政に移行するが、その過程でBNP(バングラデシュ民族主義党)という保守政党が誕生。BNPはやがてジア首相という女性リーダーによる穏健路線で政権を担う一方で、アワミ連盟ハシナ政権と何度かの政権交代繰り返した。この様なプロセスを経ながら、現在はハシナ首相が選挙で大勝し、アワミ連盟が政権与党になっている。現政権のハシナ首相も女性で、建国の父であるムジブル・ラーマン氏の娘だ。彼女は一族を軍に殺された中で、海外留学中であったため命拾いしている。


◎独立戦争当時の寝返りと宗教的な事情も原因

 建国以来、バングラデシュの政局はリーダー達の複雑な政治的、個人的バック・グラウンドを持ちながらも、先に挙げた2大政党が政権交代する形で民主主義的な体裁を保ってはいる。が、実際の政局は大小の政党が乱立する複雑な様相を呈している。政権交代を繰り返す2大政党は宗教(イスラム教)と政治を分離した「世俗政党」である一方、イスラム教に基づくイスラム法を政治の根幹に据えた政党ジャマティ・イスラミが潜在的に10%前後の支持率を持っている。そのため、現時点では下野したBNPと一緒になって与党のアワミ連盟に対抗する格好になっている。これに対抗してアワミ連盟は弾圧を強化しているというのが実情だ。

 バングラデシュが独立運動をしていた70~72年にかけて、パキスタン政府側は警官隊と軍隊で暴力的に独立派を鎮圧しようとした。その時、イスラム国家を守るためにインド軍の支援を受けた独立派とたもとを分かち、パキスタン側に付いた人達がジャマティ・イスラミの中に残っているとしてハシナ政権はこの一派に対して強硬な姿勢を採っているのだ。ハシナ首相の父であるラーマン氏が率いる独立運動派はパキスタン政府側に付いた一派によって窮地に立たされたのである。この様な独立運動当時の事情もあって、ハシナ政権は2013年に当時パキスタン側に付いて独立派を殺傷したとされるジャマティ・イスラミの幹部に死刑判決を下した。それ以降、現政権とジャマティ・イスラミの関係は悪化の一途を辿っている。その結果として、昨年には治安の悪化を示す事件が散発的に起きている。ジャマティ・イスラミの周辺でハシナ政権からの弾圧に不満が鬱積しており、その事で一部の若者がISのジハード主義に共感する背景になっているとも言えるわけだ。


◎長きに亘る日本とバングラデシュの友好関係

 今回のテロ事件には上記の様な政治的歴史的背景が存在しているが、もう一つの背景には日本とバングラデシュの長期に亘る極めて緊密な関係があると言えよう。日本は国家政策としてバングラデシュを支援する活動を長いスパンで進めてきている。先に挙げた独立前の1970年のサイクロン水害に官民挙げて大きな支援をしたのを始めとして、援助の歴史は46年にもなる。バングラデシュの人達が極めて親日的である理由はここにあると言ってもいいだろう。今回の事件の犠牲者の中に鉄道関係の調査に携わる技術者も含まれていた。この方は激しい交通渋滞がある現状で旧式のエンジンを搭載した車が大気汚染を引き起こし、健康被害も出ている首都ダッカの状況を解消するため、地下鉄整備を推進するプロジェクトに必要な調査研究を行う日本の専門家の一人であった。これと同時に毎年のように起こるサイクロン災害に対して防潮体制をレベルアップさせるプロジェクトも進んでいる。私自身バングラデシュが雨期に差し掛かったころ、パキスタンのイスラマバードからタイのバンコクまで旅客機で飛んだことがある。パキスタンからインドを超えるまで左側にヒマラヤ山脈を見ながらの飛行は実に快適であった。が、インドを過ぎてバングラデシュの上空に達した時はちょうど洪水被害が起きていたころで、海岸と陸地の区別がつかないほど一面の泥水に満ちていた。その規模の大きさは普通の日本人が想像できるようなものではなく、眼下に広がった水の量を見乍ら、自然の力に改めて驚くと同時に、この地で暮らす人たちの生活を考えると溜息しか出なかった事を覚えている。


◎善意の日本企業やそれに従事する邦人がテロ標的の可能性

 実は事件の2日前の6月29日にJAICAがバングラデシュ政府との間で、地下鉄と防災という2つのプロジェクトを含めた6件の案件に対して貸付限度額を総額1735億円とする円借款の調印が行われていた。この事はバングラデシュの実情を見れば至極妥当であり、日本政府の外交方針にも合致している事である。過去様々な政権が結局は経済を浮上させることができず、国民を貧困から救えなかった事で、政権自体が潰されてきたことを認識している現ハシナ政権にとっては、政権を安定化させるためにも経済成長を確実にするしかなく、日本の援助と技術協力は不可欠である。が、現実に進行している複雑なバングラデシュの政治過程では日本政府の援助拡大は現政権強化策であり、野党勢力、とりわけ現政権の弾圧対象となっているジャマティ・イスラミとその周辺にとっては、日本政府の行為そのものが敵対行為と映る。ここに日本政府の援助政策を実際に担う善意の日本企業・それに従事する日本人そのものがテロのターゲットとされる要因が出てきたと言えるだろう。今回のテロ事件をこの流れから見ていくと事は単純ではなく、バングラデシュにかかわる日本と日本人そのものが標的となる事も十分に考えられる事態に近付いている事を示唆している。次回はバングラデシュ進出企業の現状と、現地の伝統に対する影響などを中心に、アジアに進出するテロリズムの傾向について考察してみたい。





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