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国士舘大学政経学部政治学科講師


国民から愛されたタイのプミポン国王が逝去 第一話


国王の輝かしい功績と才能溢れる人間性


◎国民が憧れた数々のエピソード


 バングラデシュのテロ事件を引き続き連載する予定であったが、10月13日タイ国王の逝去が報じられた。私自身タイ国の政治研究を続けてきており、特にタイ国王の存在とタイ国の戦後政治に関心を持ち続けていた事から、この機会に国王の逝去を悼みつつ、その政治的役割と今後のタイ政治の在り方等について述べてみたい。(バングラデシュのテロ事件の続報については、次々号で掲載します)


 逝去されたプミポン国王は1946年、第二次大戦直後の混乱期に即位された。それから70年に亘った在位期間は、そのままタイの戦後政治と経済的発展と重なり合う。プミポン国王はマサシュウ―セッツのメディカル・スクールに留学中のマヒドン王子の次男として誕生。タイ国王として史上初の米国生まれであり、王族の中でも一風変わった経歴を持つ。以前の号(2014年4月号参照)でも触れたが、タイ国は大戦中に日本と同盟を結び、米英に宣戦布告をしたが、戦後はアメリカの強い意向で、敗戦国とはならず連合国からの政治的処分は何もなかった。終戦直後は兄が王位に就いたが、寝室でピストル事故により死亡したとされる兄のあとを継いで18歳で即位する事となった。兄王の怪死事件を含む複雑な様相を呈していた政治的混乱を避けるため、母の強い希望で即位後スイスに留学。自らジャズクラリネット奏者としてバンド演奏で活躍、更にはカーレーサーとして本格的なレースに参加するなど自由で伸び伸びした学生時代を過ごしていた。が、フィアット・トリピノに乗ってカーレース中にクラッシュ事故を起こして右目を摘出するほどの重傷を負った。入院中の国王を世話したのが当時駐仏タイ大使の娘であったシリキット現王妃。後にタイ国内で伝えられたことによると、この時、2人は恋に陥り、国王は王妃のために自ら作曲したジャズの楽曲「キャンドル・ライト・ブルース」や「レイニー・ブルース」他を贈ったとされている。これらの曲を実際訊いてみると、主旋律はいかにも1950年代にアメリカで流行した甘く切ないメロディーで構成されている。1952年国王はシリキット王妃と共に帰国して実際に国王としての公務に就くが、この時国民の間に流布された国王夫妻のラブ・ストーリーはいかにもアメリカのハリウッド映画を彷彿とさせるもので、タイの戦後の方向性を指し示す政治的効果が高かったと言えよう。国王は西欧文化、特にアメリカ文化をタイ社会にもたらす存在であり、国王へのあこがれが国民生活向上の糧となった。国王が作曲したジャズのCDは今でも国内のあちこちで発売されており、シリキット王妃の誕生日には上記の2曲が街で流されている。2011年、バンコク周辺で起きた大洪水の時には、国民を元気づける楽曲として国王のジャズが盛んに流された。ヨットの腕前も抜きんでており、1967年にタイで開かれた東南アジアの国際大会では金メダルを獲得。礼儀上、他人が国王にメダルをかける事は許されないためにシリキット王妃が表彰台の国王にメダルを手渡し、国王が自分でメダルを首にかけたという逸話が残っている。2002年には国王の視察先をうろついていた野良犬から生まれた子犬を引き取り、トンデンと名付けて王室内で飼った。そのトンデンと国王との生活を綴った物語が出版されベストセラーになっている。野良犬から生まれたトンデンが行儀よくうずくまっている様子を、国王がくつろいだ素顔でひざ上に乗せた写真は国民の共感を呼んだ。



◎混乱期に命がけで実行した政治的功績


 これらのエピソードは戦後のタイ国が落ち着きを取り戻してからの事で、大戦終了後のタイ国は分裂の瀬戸際に立っていた。その根本原因は戦後の冷戦構造にある。朝鮮戦争以降、東南アジアに次々と共産勢力が進出して来たのだ。フランスの植民地であったインドシナ3国(ベトナム・カンボジア・ラオス)の再統治を図ったフランスがホーチミンに敗れ、撤退した事のショックでタイ国内では政争が勃発。中国に亡命した兄王怪死事件当時の首相プレディパノムヨンが、国内に残存していた自派の政治勢力に対して北京から指令を出して政治的対立を起こすなど、中央政局が不安定となっていた。特に共産化の道を歩んだラオス国境に接するタイ国の東北部がラオス共産軍の侵攻を受ける寸前、この地に住む少数民族達が激しく動揺。これに危機感を持った国王は王妃と共に現地に赴き、自らの姿を国民に見せ、直接言葉をかける事で国民の動揺を抑えたのである。仏教界も国王に協力、国王が視察に訪れた地に開発僧と呼ばれる若い僧を派遣し、寺を建立。ここを開発センターとして様々な事業を行った。それと同時に国王の存在を国父と位置付けて、尊崇の念を持たせる教育機関としての役割を担わせた。筆者はタイ国の奥地には何度も取材で訪れる機会があったが、メオ、アカ、カレン族など少数民族の住む村の各家々の中心部に当たる壁の高い所には、国王夫妻の写真が飾られており、常にタイ国民としての自覚を持つようにと促しているのである。軍も奥地に駐屯し、農民の仕事を手伝いつつ有事に備える態勢をとった。当時の国王は様々な機会に「共産化は貧しさから生まれる、国民を富ませることが必要である」発言していた。



◎国民を豊かにするため4500以上のプロジェクトを実行


 これを実現するために、王は国内外から広く寄付を募り、自らファンドを設立し、農業、水源開発、農薬を始めとする製薬、農機具の開発、公衆衛生、教育財団などのプロジェクトを立ち上げた。在位70年を通じて、国王が手を下したプロジェクトの数は4500以上にも上る。これらの成果は上記のような各機関を通じて国民の間に普及させていった。プミポン国王の死に対して国民が涙を流して悼む姿は全世界に報道され、国王と国民の間にある感情の通じ方には尋常ならざるものがあったように感じられるが、国家に対してプミポン国王が身を挺して尽くした事が、これほどまでの状況を生み出したと言わざるを得ない。この事は国王自身の個性と大戦後に起きた特殊な事情によるものであるのは確かだ。が、この事で王室全体が国民に慕われているというよりも、プミポン国王の個人的なキャラクターと努力のなせる部分が大であった事を示している。この国王個人への絶対の信頼感が数々のクーデターを乗り越え、政治のバランスを保ってきた要因となっている。それらはタイ式民主主義という独自のシステムを作り出す要因となったが、国王亡き後の政治的な安定はどのようになるのか、次回はこの点に触れてみたい。




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