「中東、アジアを中心とした国際情勢の本質を掲載 当サイト編集顧問」

国士舘大学政経学部政治学科講師


トランプ大統領は世界をどう変えるか第二話


トランプ大統領の恫喝を強かに利用する大企業


◎大統領就任後初の議会演説の評価と内容

 先ごろ行われたトランプ大統領初の議会演説は、敵対関係にある米マスコミも含めて米国民にはおおむね好評であった。様々な言い方があったが、評価の基本となっていたのは演説が「国民の統合を求める大統領らしいソフトな表現」にあったようだ。中にはプロンプターに書かれた演説原稿を澱みなく読めた事に驚くような皮肉めいた評論もあった。

 しかし、演説の内容は100兆円を超える公共投資と日本の防衛予算を上回る6兆円もの国防予算の追加、そして企業減税と中間層に対する減税策であった。減税と国家予算の増加という相反する問題には言及がなく、当然財源不足で実現不可能な政策に過ぎない、相変わらずの口先だけが達者な大統領選挙演説の範囲を一歩も超えていない…という批判が続出している。その代表例として挙げられるのは「メキシコ国境に巨大な壁を造る」という公約を議会演説の中でもぶち上げた事だ。CNNによると、演説直後から建設業者が300社ほど名乗りを上げ受注入札に応じる構えを見せ、冗談ではなく、現実の問題として進捗の度合いを深めている。この壁の建設と同時にトランプ政権が進めようとしているのがNAFTA(北米自由貿易協定)破棄への道筋である。その理由を一点に絞れば、米企業が労働力の安いメキシコに工場を建て、そこで生産された製品をNAFTAの協定に従って無関税でアメリカに運び込んでいる。従ってアメリカ国内に工場を造り、アメリカ人労働者を雇用するというトランプ大統領の選挙公約を実現するためには、アメリカがNAFTAから脱退してメキシコからの輸入品に関税をかけて、アメリカの製造業を保護する、という事である。果たしてNAFTA離脱がトランプ大統領の言うように、米国経済と製造業に好影響を与える事が可能なのかどうか、NAFTAが創設された理由とその歴史から振り返ってみよう。


◎NAFTA設立の経緯と役割

 20世紀終盤に社会主義と自由主義というイデオロギー対決の中で、経済を始めとする人間の社会生活が二極分解していた冷戦構造が終焉。その結果、大国のステータスが相対的地盤沈下を起こし、様々な分野でグローバル化が一気に進行した。そのグローバリゼーションを国際的視点で俯瞰して見ると、経済の面においてはヨーロッパ経済圏、アジア経済圏、アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、パラグアイ、ベネズエラで構成する南米南部共同市場(MERCOSUR=メルコスール)、更にはアメリカ経済圏ともいえる国境をまたいだ経済圏の形を整えて来た。中でもEU(欧州連合)においては1993年に市場統合をスタートさせ、1999年1月には通貨統合にまで至っている。加盟国は2013年7月、クロアチアの加盟により28カ国に増加。域内人口は2009年現在、5億人(4億9979万人)で世界3位、GDPは2012年現在、16兆4144億ドルでアメリカの16兆1552億ドルを上回りEUを単独の国として数えると世界一となる。この様な流れの中で、「NAFTA」(北米自由貿易協定=North American Free Trade Agreement)はEUの市場統合に対抗する形でアメリカ、カナダ、メキシコの3カ国の合意によって1994年1月に発効。3カ国で相互に市場を開放し域内関税を撤廃。貿易の自由化を図り経済活動の活発化を促す事が基本的な合意内容だ。NAFTAが発効すると域内全体のGDPは2010年現在、17兆1900億ドルでEUのGDP16兆1000億ドルを上回る数字となっている。 このNAFTAをアメリカの戦略上の立場で見れば、第一にアメリカ企業及び労働者に新たな市場や仕事をもたらし、第二に北米地域、とりわけメキシコの経済成長を促進させ、地域の不安定要素を取り除き、第三に安い労働力を利用しながらアメリカ企業の競争力を高めるという狙いがあった。先月号で述べたアメリカの製造業の実情は労働者が組合を通じて強力に既得権益を主張した結果、労働者の高賃金が原因の一つとなって低迷。次々に外国へ製造現場を移していった。この事は失業率の増加や製造業の衰退に繋がっているが、逆に言えばアメリカ国民は安い製品を手に入れる事が出来たのである。その間、新しい産業分野の開拓、労働効率の改善、新製品開発の努力などを積み上げていったら、NAFTAを通じて入って来る安い製品を活用しながら、更なる経済的飛躍を遂げるチャンスがでてくると言えるだろう。が、トランプ大統領は長い選挙戦を通じた無数の演説や大統領就任演説、初の議会演説に於いても「アメリカ人自身の努力」については一言も触れてないのである。その代わり、発効してから20年以上もたつNAFTAの再交渉を開始するにあたり「スピード感を持って」新政権発足直後から始めていく。とりわけ、メキシコとの関税問題の解決を壁の建設と連動してイメージさせる政策を採っているのだ。そもそも自由貿易協定とは言え、3カ国の間ですべてのモノとサービスが非関税になっているわけではないので、盛んに言われているメキシコから米国への自動車あるいは米国からメキシコへの自動車部品などだけが問題になるわけではない。従って具体的に何をどう交渉するのかさえこれからの話なのだ。


◎メキシコと自動車産業たたきは支持層への公約実現が狙い

 トランプ氏がメキシコと自動車産業を盛んに採り上げる理由は、トランプ大統領誕生に大きく貢献した中西部のラスト・ベルトに代表される白人の失業者・失業経験者達に雇用を奪った悪者として格好の材料がメキシコで発展が著しい自動車産業との判断があったからだ。 つまり、「メキシコに奪われた自動車産業の雇用を米国内に取り戻す」という選挙公約の早期実現を狙い、トランプ支持層の期待に応えようとするものだ。トランプ氏は選挙期間中からフォードのメキシコ新工場建設を重点的に批判し続けた。更には当選後、まだ大統領に就任していないうちから空調機器大手キャリア社インディアナ工場のメキシコ移転を批判した。やがてキャリア社はインディアナ州での雇用維持に同意し、年が明けてからはフォードもメキシコ新工場建設計画中止を表明。その代わり、フォード社はミシガン州の工場に投資して新モデル車を生産する事になった。トランプ氏の次なる標的はゼネラルモーターズ社(GM)とトヨタだった。GMは小型乗用車をメキシコで生産しようとしていると非難され、トヨタは小型乗用車をメキシコに生産移管しようとしていると非難。アメリカで作らないのであれば多額の国境税を払えとツイッターで脅したのだ。これら一連の非常識な発言は全世界のメディアによって拡散され、GM・トヨタとも新たな米国投資を表明する事となった。


◎大統領よりも一枚上手な大手自動車メーカー

 が、その後の報道などによると、事は一筋縄で収まったわけではなく、実はトランプ氏の脅しが功を奏したわけではない事が明るみに出てきた。例えばフォード社の場合、小型乗用車「フォーカス」をメキシコの新工場で生産する予定で16億ドル投資する計画だった。しかし、アメリカ市場ではガソリン安も手伝って乗用車系からSUV(スポーツ多目的車)に売れ筋がシフトし、計画自体が時代遅れとなっていたのだ。このタイミングでトランプ氏がメキシコの工場建設を名指しで激しく非難した。しかし、この非難はフォードにとってはまさに渡りに船で、メキシコ工場の建設工事をすぐさま中止したのである。その代わりに、急速に進んでいる電気自動車の量産関連で米国内工場に7億ドルの投資をすると発表。こうしてフォードは何食わぬ顔で自社の戦略を軌道修正する事が出来たのである。

  トヨタのケースでは、建設するメキシコ工場はアメリカの工場を引き払って代替させるものではない。トヨタのメキシコ工場はカナダ工場の代替となるのであり、米国向けカローラの生産は引き続き同社のミシシッピー工場で行われる。トヨタの豊田章夫社長はデトロイトで開催された北米自動車ショーで「5年間で100億ドルを米国に投資する」と表明したが、それに関連して、ジム・レンツ専務取締役はメディアのインタビューにこう答えた。「今後5年間のアメリカ国内での投資額100億ドルは過去5年間の投資額と同じである」との見通しを示した。つまり、現状は全く変わらず、あたかもトランプ氏の恫喝によって大企業が右往左往しているように見えているが、事実は別の理由から成り立っているという事が明白になったのである。

 更に言えば、トランプ氏はトヨタ批判の際にメキシコ工場の建設地をバハとしていたが、実際にはグアナファトだ。こうした一連の基本的な事実の間違いは、トランプ支持者には気にならないかもしれない。が、シビアな経済人たちは彼の政策やその手法のわきの甘さを見抜き、今後トランプ氏のパフォーマンスを鵜吞みにはせず、より具体的な事実に目を向けるようになるだろう。

 上記の様に、トランプ氏の批判に対するフォードやトヨタのやり方はトランプ氏の一枚上手を行く強かな対応であり、それを自己の利益に換える高等戦術の典型的な例と言えよう。この様なトランプ政権の在り方に日本は一体どう対応すればよいのか、今回の記述を通して見えてきたトランプ政権の基本的なトレンドに留意しつつ、次号は日本の基本戦略について考察してみたい。





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